

~ 聖書は信じるに値するか?(補足記事) ~
分厚い辞書のような聖書を読破するための「読み方ガイド」
について、お伝えしています。
「聖書を読んでみたいけど、どっから手つけて良いんだか……」あるいは、
「前にチャレンジしてみたけど玉砕した (@_@;) 💧」
という方のために、”読み方の”ちょっとしたコツ ” について見てみましましょう。
ちなみに「聖書がどんな本なのか知りたい」という方は……、
『聖書は他の書物と何が違う? その10の特徴と特異性』を、
「聖書の具体的な内容(あらすじ)が知りたい」という方は……、
『【要約】聖書って実際どんな内容なの? 旧約と新約のあらすじ』
の記事ををご覧ください。
【神の言葉の平原】 ― kami no kotoba no heigen ―
私たちの旅は、まだ始まったばかりですが、これまで多くの人たちが、この「聖書の世界」でつまずき、道に迷い、
真実の部分に触れることができぬまま、もとの世俗的、唯物的な日常へと引き返して行きました。
そこで今日は、向こうでノンキに草を食(は)んでいる羊たちのように、のんびりと歩を進めながら「聖書の世界を旅するコツ」について見ていきましょう。



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途中で挫折しない為の聖書の読み方 | 7つのステップ


■ 読み方のステップ(1)
【「4つの福音書」の中から、どれか1つを選び、読んでみる】

「福音書」は比較的読みやすく、新約聖書の中心的な部分でもありますので、まずは、ここから手を付けるのがオススメです。
■ 読み方のステップ(2)
【「メシア預言」について調べてみる】
「メシア預言」について調べてみて……、
- 本当に預言が成就しているのか?
- 間違いなくイェシュアが「メシア」だと言えるのか?
等、聖書預言の正確性を、厳しい目でチェックしてみましょう。
聖書とは「預言の書物」であり、その中心テーマは「メシア」なので、早い段階でそこに注目することは、この書を深く知るための「王道」であると言えます。

参考:No.5『預言とは何なのか? | 人類に突きつけられた神からの挑戦状』
■ 読み方のステップ(3)
【「残りの福音書」+「使徒行伝」を読んでみる】
「メシア預言」を確認後に、もう1度「福音書」に戻るのは、
この預言を成就したとされているイェシュアが、果たしてどんな人物なのか?
信頼できる人物なのか?
等を知るためです。
聖書が「預言の書物」であることを知り、メシアに関する預言の的中率が「偶然」のひとことでは説明不可能であることが分かった時点で、
あらためて、世界中の多くの人々が「メシア」だと考えている「イェシュア」について、調べてみましょう。
「メシア預言」に対する認識があるのと無いのとでは、福音書の「読み方」や「理解の深度」が、まったく違ってくるからです。
■ 読み方のステップ(4)
【「終末預言」について調べてみる】
聖書の中には、”メシアに関する預言”の他に、”世の終わりに関する預言” が散りばめられており、それを「終末預言」と呼んでいます。
これを調べるには、必然的に新約聖書の中の「黙示録」や、旧約の「ダニエル書」などを読まなければならなくなります。
意味が分からないことを前提に、取りあえず「ヨハネによる黙示録」を読んだのち、ネットで詳しい解説の記事や、動画などを参考にしてみると良いと思います。

■ 読み方のステップ(5)
【「旧約聖書」を読んでみる】
もちろん、個人差はあるかと思いますが、旧約の中にたくさんの「預言」が散りばめられていることが分かってくると、少しずつ旧約に対する興味が湧いてくるはずです。
この段階になってはじめて、旧約を読んでみることをおすすめします。
ただ漫然と読むのと、預言に着目しながら読むのとでは、読む姿勢がまったく違ってきますから、途中で挫折する可能性は、いくぶん減らせるはずです。
そこで読むこと自体をやめてしまうよりは、多少読み飛ばしても、ざっくりと通し読みした方が、はるかに良いと思うからです。
■ 読み方のステップ(6)
【「新約聖書」の手紙を読んでみる】
「旧約」の数々のエピソードが頭に入っていると「新約」にある手紙を、より深く理解できるようになるので、旧約読破後に、いちどチャレンジしてみることをおすすめいたします。
しかし、読み進めるのに困難を感じるようだったらムリせず、読みたいという思いが与えられるまで、放置しておいて良いと私は思っています。
■ 読み方のステップ(7)
【「予型論」について調べてみる】
「旧約」と「福音書の」内容が頭に入っていると……、
「旧約に登場する人物たち」や「エピソード」の数々、イスラエルの民が預言者たちをとおして神から命じられた「祭り」や「祭儀的なことがら」etc……が、
イェシュアに関することがらの「型」であったことが理解できるようになります。
「型」とは、”本体を表すためのミニチュア版”のようなもので「予型」「予表」「雛形」などとも呼ばれる。本体が来た時に、人々が理解できるよう、旧約の中にはさまざまな「型」が散りばめられている。


では、物好きのあなたに「予型」とはどんなものか? 1つご紹介してみましょう。
ユダヤ人たちが現在でも行っている重要な祭りの1つに「過ぎ越しの祭」というものがあるのですが、
この祭りにおいて、食後に出される「アフィコマン」というデザート的なパンが、実はイェシュア(イエス・キリスト)の予型であると言われています。
食事のあと、まず、マッツァー(酵母を入れない種無しパン *)を3枚、1つの袋に入れる、あるいは白い麻布で包むのだそうです。

袋の中は3つの部屋に分かれていて、真ん中のマッツァーを取り出し、2つに裂きます。
この裂いたマッツァーの大きい方を「アフィコマン」と言います。
その後、子どもたちを部屋から出し、「アフィコマン」を隠すんだそうです。
そして、子どもたちを部屋に呼び戻し、探させます。これを見つけた子は、50日後のペンテコステの日*に、ご褒美がもらえるんだということです。
「7週の祭り(5旬節)」とも呼び、「過ぎ越しの祭」「仮庵の祭り」と共に、ユダヤ3大例祭の1つ。
メシアニック・ジューたち(ユダヤ人クリスチャンのこと)によると、「3枚のマッツァー」は「三位一体」を表し、
”真ん中のマッツァーを取り出して裂く” ことは、”神の第2位格であるメシアを取り去り、生贄(いけにえ)として裂く” ことの予型だと言うことです。
また、”隠された「アフィコマン」を見つけ出した子に、50日後、ご褒美が与えられる” ことは、”隠されたメシアを見出した者に聖霊が与えられる” ことの予型だと言います。
クリスチャンたち(ただし、全員の見解ではない)は、「父(神)」「子(メシア)」「聖霊(神の霊)」が、それぞれ別々の個性を有した人格(神格)的存在でありながら、霊的には一体であると考えている。これを「三位一体」と呼ぶ。
ところが、イェシュアをメシアと認めていない一般のユダヤ人たちは、これが「メシアの予型」であることを知らずに、単に昔からの風習として、意味も分からずこれを行っているのです。

※ 出典:久保有政さんのYou Tube動画「イクスース」の「予型論3」および、エルサレム在住のクリスチャンによるブログ「サファイアの空」より。
話が脱線しましたが、この「予型」の理解が深まると、旧約と新約が切り離すことのできない一体の書物であり、
「メシア」という1つのテーマによって貫かれた、”メシアに関する書物” であったことが理解できるようになります。

「預言」に加え「予型」まで見てくるころには、古臭い宗教本だと思っていた聖書が、
「何やら、タダもんじゃない本」であることが分かってくるかと思いますので、
そこから先は、各自の心のうながしに従って、聖書と向き合って行っていただければ、と思います。
【まとめ】聖書の読み方
- 「4つの福音書」の中から、どれか1つを選び、読んでみる。
- 「メシア預言」について調べてみる。
- 「残りの福音書」+「使徒行伝」を読んでみる。
- 「終末預言」について調べてみる。
- 「旧約聖書」を読んでみる。
- 「新約聖書」の手紙を読んでみる。
- 「予型論」について調べてみる。
やはり最大の難関は、5番目の「旧約聖書」を読むところだと思います。大切なポイントとしては……、
- 「教養を身につけたいから」とか、
- 「読んでおくべきだと思ったから」
等、義務感に近い動機ではなく、
- 「聖書についてもっと詳しく知りたいから」
- 「新約の内容をもっと深く理解するために」
等、「知りたい」という欲求が自分の内に生じた時に手をつける、という点です。
できれば、やめておいた方が良いという2つの「聖書の読み方」



【オススメしない聖書の読み方 ① 】いきなり旧約聖書から読む
「聖書を読んでみようかな?」と思っている方の中には、
「『旧約聖書』と『新約聖書』の、どっちから読んだら良いんだろう……」と、迷っている方も多いかと思います。
私の個人的な意見は、極力「旧約聖書」から読むのは、避けた方が良いというものです。
聖書に限らず、読書を途中で投げ出してしまう主な理由として……、
- つまらない。
- 意味が分からない。
- 長すぎる。
などが挙げられますが、「旧約」は「新約聖書」に比べて、上記の要素が多いと言えます。
私の場合、クリスチャンになる10年ほど前に、ひょんなことから「福音書」を読んでみたいと思い、「旧約」と「新約」が一体になったタイプのものを購入したのですが、旧約の部分は、ほぼ手を付けませんでした。
理由は単純明快で「長いから」でした。
その後、旧約聖書の中の「ヨブ記」だけは、ちゃんと読んだのですが、結局、旧約全体を通読しようというモチベーションは、ついぞ生まれませんでした。
実は、クリスチャンになってからも、しばらくの間は、なかなか読む気にはなれなかったほどです。
いちど「イザヤ書」という書にチャレンジしましたが、さっぱり意味が分からず、退屈で断念した経験があります。

【オススメしない聖書の読み方 ② 】義務感から手紙類を読む
「新約」の方から読むことをオススメしましたが、実は、この「新約」の中にも、はじめて読む方にとって……、
- つまらない部分。
- 意味が分からない部分。
が、あります。
①の代表格が「手紙」で、②の代表格が「ヨハネの黙示録」です。
「新約聖書」の中には、初代クリスチャンたちが残した、多くの「手紙」が収録されており、それがかなりの割合を占めています。
ポイントは、義務感から読まないことです。
そうではなく、自分の内に「読んでみたい」という思いが生じてから手を付ける感じでも良いと、私は思っています。
また、最後の書である「ヨハネの黙示録」も「旧約聖書」と対応させながら読み進めるべきところや、解釈がさまざまに分かれている箇所があるなど、
ひと筋縄ではいかない、かなり難解な書と言えますので、はじめの内はムリに読み進めようとする必要はないと思います。
まとめ
- 読み方の要点としては「預言をからめながら読み進めていく」 + 「義務感から読まない」ということ。
- あまりオススメできない読み方としては「何の予備知識もなしに、いきなり旧約にチャレンジしてしまう」ということ。
いかがだったでしょうか?
今回は、挫折の可能性を最小限におさえるための「聖書の読み方」について見てみました。
「これから聖書を読んでみたい」という方への、ちょっとした参考にでもなれば幸いです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

『【保存版】聖書の訳はどれが良い!? 実際に読んでみた私の感想』は、下のリンクから。
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