聖書を人生の土台とすることを提案するブログ「眠れる羊たち」の目的
【当ブログの5つの主要な目的】
- 自ら命を手放す前に、神に賭けてみるべきだということを伝える。
- 暗闇の中から抜け出す「隠された道」が、存在していることを伝える。
- 聖書の真の魅力を伝えると共に 聖書を土台として生きることを伝える。
- キリスト教徒にならずに、神へ立ち返ることを提案する。
- イェシュアに対する誤解を解く。
※ また、私自身クリスチャンとなってまだ年数が浅いことから、「情報を収集・整理しながら、このブログを通して自分自身も学ぶ」という個人的な目的もあります。
(1)自ら命を手放す前に、神に賭けてみるべきだということを伝える
このブログを立ち上げた1番の動機が「自殺してしまう人をひとりでも減らしたい」という思いでした。
「実際に資料を見てみたい」という方は、以下のリンクより、厚生労働省が出している統計の「36ページ目」を、実際にご覧になってみてください。
【参考】:厚労省による、令和元年(2019) 人口動態統計月報年計(概数)の概況
このような、命を投げ出してしまう多くの人たちに、聖書の真実を知ってほしい。これが、当ブログの中心にある「考え」です。
なぜなら私もまた、聖書を通じ神に立ち返ることによって、自殺願望から救われ者の1人たからです。
(2)暗闇の中から抜け出す「隠された道」が存在していることを伝える
おそらく多くの人たちが、自分の人生に失望しているか、失望まではしていなくとも、希望に満たされているとは言いがたいのではないかと思います。
私は、そのような人生に希望を持てないでいる人に対し、本物の希望があることをお伝えしたいのです。
しかし、外側から見ただけでは決して把握できないものが、私たちの内側にはあるのだとしか言いようがないのです。
先ほどの「死にたい」という思いを抱えている方々も含め、人生に希望が持てないでいる方々へ、
日本人の実に99% *近くもの人たちが見向きもしない、本物の幸せへと至る「隠された道」を指し示すことも、当ブログの目的です。
1%前後なんだってさ。
(3)聖書の真の魅力を伝えると共に 聖書を土台として生きることを伝える
私は、このブログを通して、聖書が信頼するに足る書物であるということを、私の知りうる範囲において、お伝えしてゆきたいと思っています。
作業でもあるよね。
そもそも予備知識がない状態で、ノンクリスチャンの方がいきなり旧約聖書を読んだとしても、その奥深い魅力を味わうことは不可能であり、ほとんどの方が、途中で断念してしまうと思います。
しかも、旧約を深く理解するためには、新約の知識を持っている必要があり、逆に、新約を深く理解する場合にも、必ず旧約の知識が必要になってくるという、やっかいな書物なのです。
ですから、聖書全体を深く味わうためには、やはり、新約と旧約の双方を、複数回、読む必要があるのです。
そりゃ、時間も労力もエライかかるわ💦
そこで このブログでは、これまで聖書をまったく読んだことがない人あるいは途中で読むのを断念してしまった人でも、
その奥深い魅力が味わえるよう、情報を整理し、重要な部分をピックアップして届ける、ということも目的のひとつとしています。
(4)キリスト教徒にならずに、神へ立ち返ることを提案する
しかし「宗教」 という枠が邪魔をして、人々を近寄り難くさせている、という現状があります。
私は仏教系の家庭で育ったのですが、「宗教」というものが苦手で、
拒絶する気持ちも強かったことから、クリスチャンという存在が、外側からどのように見えるか分かります。
「世の中にどっぷりと浸かった生き方をしているくらいならば、キリスト教徒にならずとも(宗教とは距離を置きつつも)、神に立ち返る方が良い」
というのが、私の考えです。私自身、その状態でもあります。
「神に立ち返ったのち、それぞれの判断で、何らかの組織に属したいのであれば、そうすれば良い」というのが、当ブログの立場です。
(5)イェシュアに対する誤解を解く
残念ながら「聖書」および、「イェシュア」は大いに誤解されています。
多くの方は「聖書」と聞けば…… 、
- 道徳的な教えが書かれた、退屈そうな宗教の本。
- 辞書みたいに やたら分厚くて、自分には何の関係もない本。
また、「イエス」や「キリスト」と聞けば…… 、
- キリスト教の創始者。
- 十字架に磔(はりつけ)にされた不気味な像。
などを連想するのではないかと思います。私自身も、そうでしたから、よく分かります。
しかし、上記のようなイメージはどれも、あとから人工的に付加されてしまったものであり、ベールのようなものにすぎないのです。
ひとことで言えば「みんな、知らないだけ」なのです。
いま私は、以前、生きることに対して何の希望も持てないでいたころには想像もしなかったようなこの「喜びと希望」とでも表現すべきものについて、
言葉でうまく伝えることができないのがとても残念です。言葉にしたとたん、陳腐なものになってしまうからです。
このブログでは、イェシュアに対する上記のような「マイナスのイメージ」を払拭するとともに、
その、”人を惹きつけてやまない、真の人物像” を少しでも伝えられたらと思っております。
【当ブログの利用の仕方】やわらかい食べ物からはじめるべきであること
また、当ブログの記事には、以下の2種類があります。
- 聖書が信じるに足る書物かどうかを探究する「本道」にあたる記事。
- 個人個人の必要に応じて読んでいただく「枝道」にあたる記事。
「枝道」にあたる記事なんだって。
それは、この道は広く知られてはいますが、その真実の部分は「世の中のあらゆるもの」によっておおい隠されているため、既成概念や偏見を取り除くことが、非常に困難なためです。
それゆえ、1枚1枚ベールを取り去ってゆくようにして近づいてゆかなければ、真の価値を見損なってしまう恐れがあるのです。
「なあんだ、うす汚い布切れに包まれた、ただの石ころじゃないか」と、その真価を見逃すようなものです。
”生まれたての赤ん坊が母乳からはじめるように、聖書にまったく馴染みがない日本人が聖書の真実にアプローチするにも、適切なステップを踏む必要がある”、というのが当ブログの基本的な考えです。
あなたがこのページを読んでいるのは、けっして偶然ではない
私はこのブログを通じて「聖書に隠された真実をできる限り論理的に、且つ噛み砕いて紹介してゆければ」と思っております。
しかし、茨だらけの道のかたわらで、傷だらけになって座り込んでしまっているあなたに対し、「鬱蒼と茂る木々に隠され見向きもされない、整えられた道があるよ」と示すことはできます。
その道は日当たりがよく、舗装され、道の脇には至るところで湧き水が見られるような道なのに、「宗教」という名の木々でおおわれているため、日本では見向きもされません。
もしかしたらあなたは今、「宗教」とか「神」という言葉を読んで、すでに拒絶反応を起こしているかも知れません。
しかし、このようなブログを運営している私自身、今だに宗教に対しては拒絶反応を持っています。
私はクリスチャンですが、どの教団にも宗派にも属していません。教会にすら通っていません。
ただ、誤解していただきたくないのですが、私は「エクレシア(教会)」を否定しているのではありません。エクレシアは神が備えた大切な共同体です。
ただ、神から離れて、世の価値観にどっぷりと浸かって生活しているくらいなら、たとえ教会に通わずとも、神に立ち返った方がはるかに良い、というのが私の考えです。
「キリスト教徒にならずに神に立ち返る」とは、そういった意味であるとご理解ください。
共に、探究の旅に出かけましょう
魂の不死は、私たちにきわめて強くかかわり、きわめて深く触れる事柄なので、あらゆる感覚を失っているのでもなければ、その真偽を詮索せずに無関心でいられるはずがない。
私たちの行動と思考のすべては、永遠の幸福があるか否かによって、まったく異なった道をたどるべきであり、
そうであってみれば、私たちの最終目標であるこの点を見すえて生き方を規整しないかぎり、分別と判断をもって人生の一歩を踏みだすことは不可能である。
こうして私たちの第一の利害と第一の義務は、この問題を解明することにあり、そこに私たちの行いのすべてがかかっている。
だからこそ私は、この点について確信をもっていない人々にしても、それを調べるために全力を尽くす人々と、そうした努力をせず問題を考えもしない人々の間には天と地の差があると思う。『パンセ(中)』 パスカル 著 塩川徹也 訳 岩波文庫
聖書の教えは信ずるに値するのか、確かめてみようではありませんか。
拒絶することは、そのあとでいくらでもできるのですから。
あるいは、イェシュアや使徒たちが、たんなる「ペテン師」にすぎなかったのかどうか、一緒に確かめてみようではありませんか。
今現在「死んでしまいたい」という思いを抱えていらっしゃる方であれば、なおのことです。
カール・ヒルティ氏も以下のように語っているよ。
人が神を知り得ないように、また神を経験し得ないならば、信仰はじっさい神経系統の昂奮による一種の狂想であろう。ローマの太守がパウロに向かって、「おまえは気が狂っている」といったのは正当だったであろう。
(中略)けれども神は、その人自身の経験にもとづく以外の信仰を、人間に求めない。むしろ神は、個人の体験と人類の全歴史のうちに、自らを充分明瞭に証示している。
『幸福論(第一部)』 ヒルティ著 草間平作 訳 岩波文庫
さあ、準備はよろしいでしょうか?
それでは私と共に、真実を探究する旅へと出かけましょう。
この記事では……、「あなたは、死んではいけないこと」「死を望むほどに苦しんでいる時、実は今まで気づけなかった扉を開くためのチャンスでもあるのだということ」 をお伝えしています。 もし、「お前に、死[…]
眠れる羊くん この記事の内容は、You Tubeでも観れるよ♪ https://youtu.be/_8ntpCodlqw K ~ 聖書は信じるに値するか? No.1 ~ この記[…]
※ 当ブログにおける内容は、さまざまな情報をもとに、まとめたものとなっております。
私個人が信頼できると感じた情報を集めたものではありますが、
中には複数ある解釈のひとつにすぎない場合などもありますので、
鵜呑みにせず、気になった部分は ぜひご自身で調べてみて、
判断されることをオススメいたします。