

この記事では、
「聖書の大まかなあらすじ・内容」についてお伝えしています。
「名前は聞いたことあるけど、内容はよく知らない……」
日本においては、このような方が大半なのではないかと思います。
「世界のベストセラーである聖書について興味はあるけど、読むのはちょっと……」という方もいるかもしれません。なんせ聖書は、辞書のように分厚い書物ですから。
関連:『あんな分厚い聖書のどこが面白いの? 知らなきゃ損する4つの魅力』
聖書自体、ボリュームのある書物なので、この記事も若干長めとなっています。
ただ実際、聖書を読破するとなると数ヶ月、人によっては1年以上かかることもあります。
それと比較すれば数十分で「大まかなあらすじと要点」を知ることができますので、ぜひとも、読める方は最後までご覧になってみてください。

《 目次:ざっくり知りたい人向け 》

今、私たちの手には、聖書の世界を描いた「地図」が握られています。
これまでの旅は、”聖書の世界にまったくなじみのない方々に、おぼろげながらもイメージをつかんでもらうための旅” でした。
参考:『聖書は他の書物と何が違う? その10の特徴と特異性』
今回私たちは、そこからさらに一歩を進めて、聖書という世界の輪郭をつかんでもらうために、この世界を描いた地図の「重要な地点」に的をしぼって、ながめていきたいと思います。
では、さっそく見ていきましょう。



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【ゴチャゴチャ言う前にまず結論!】これが聖書全体の内容の要約


私たち人間は、”神とその被造物をよろこび楽しみ、神もまた人の存在をよろこび楽しむ”という「神と人、相互のよろこびと幸福の為」に創造された*。
* イザヤ65:18~19
草木や、さまざまな生き物を創造した神は、人に地上を治めるよう命ずる。
しかし、彼らは「邪悪な存在」にそそのかされ、神の言いつけを破り、”自分たちも神のようになろうとする道” を選択してしまう。
その結果、世に「罪」が入り込み、人は死ぬ存在となった(それまで人は死なない生き物であった)。
死は、その後の全人類に継承され、人は「罪」の支配下におかれてしまった。
地上を治めるべき人類が道を踏み外したことにより、地もその影響をこうむり、呪われたものとなる。
戦争や殺人、飢饉や疫病などが はびこるようになり、本来の秩序は失われてしまった。
そこで神は、もとの秩序を取り戻すため、ひとつの壮大な計画を用意された。ひとりの人(アダム)によって壊された秩序を、ひとりの人(メシア)によって回復するための計画であった。
神はひとつの民族(イスラエルの民)を選び、彼らをとおして全人類を壊れた秩序の中から救い出す計画を立てられた。
そして、この民族に1冊の書物を与え、それを数千年の間守らせた。
その書物の中で神は、くりかえし、世の秩序を立て直すための「メシア」の到来を告げ、その預言のとおりに彼は現れた。
ただひとり、地上で罪の性質を宿していなかった彼は、すべての悪や混沌の根源であった「罪」を一身に引き受け、十字架の上で「神の救いの計画」を完成させる。
その死は、「罪」のゆえに私たち1人ひとりに下されるはずであったものを代りに引き受けた「身代わりの死」であった。
この「十字架の御業」の成就により、神の計画は完成し、闇の中から光の中へと脱出する「救いの道」が開かれた。
この道はすべての人に開かれており、その救いを受け取るには、このことを信じるだけで良い。
神は私たちの意思を尊重しているため、救いの道を選択することを強制されたりはなさらない。
この救いに応じるかどうかは、私たち一人ひとりの「自由意志」にゆだねられている。



【要約】聖書ってどんな内容で構成されてるの?


旧約聖書を構成する「4つの主な内容」
- 「人類史」 & 「イスラエルの国史」
- 「預言」
- 「律法」
- 「知恵」
【旧約聖書を構成する内容 ①】人類史 & イスラエルの国史
ざっくり言うと、聖書には、世界のはじまり~この世の終わりまで、さらには新しい世界秩序へと向かうまでのことが記されています。
私たちの祖先であるアダムとエバ(イヴ)からはじまり、やがて物語はイスラエル民族の歩みへと移っていきます。
なぜなら、この民族をとおして すべての民を救うというのが、神の立てられた計画だからです。
ですから当然、聖書の物語はこの民族を中心に語られていくわけです。
しかしながら、この民族の歩みには、全人類の歩みが重ね合わせられています。
ですからこれは、たんなる「イスラエル民族の国史」ではないのです。
【旧約聖書を構成する内容 ②】預言
聖書が「預言の書物」であることは、これまでにも触れてきましたが、この預言が、この書物を「尋常ならざるもの」としている大きな要素だと言えます。
この書は、”神の霊感(インスピレーション)によって書かれた”とされているのですが、狂信や盲信によらずに、いったい誰がそのようなブッ飛んだことを信じられるでしょう。
神は、”この書が神からのメッセージであること” を私たちが信じられるように「預言」を織り込んだのです。
つまり、あらかじめ予告されたことが実際に実現することをとおして、「ああ、これは本当に神の言葉なんだ」と、私たちが理解できるようにするためです。
この書には実に多くの預言が散りばめられていて、聖書全体の27%もの部分を預言が占めていると言われています。
その中心は「メシアについての預言」ですが、”イスラエル民族が世界中に散らされること” や、”彼らが再びもとの地に集められること” なども予言されています。


眠れる羊くんの言うように、聖書の預言は近代に入ってからも成就しており、その正確さを証明し続けているのです。
それはあたかも、神が私たち人類にこう問いかけているかのようです。
「お前たちは、これでもまだ私の言葉を信じないのか」と。
そもそも1900年もの間、民族的なアイデンティティを失わずにこの民が存続してきたこと自体が、奇跡だと言えます。
ふつう、数千年も国を持たずにいたら、その民は他の民族に同化してしまうものではないでしょうか?
このユダヤ民族が存続してきたという事実が、この民が神に選ばれた特別な民族であることを、ひいては、神というものが存在することを証ししていると言えるかもしれません。
この「預言」は、象徴的に書かれていることが多いため、はじめのうちは分かりづらいのですが、1つひとつ紐解いていくと、この書が尋常な代物ではないということが、分かってくるのです。

【旧約聖書を構成する内容 ③】律法
聖書の中には、イスラエルの民に対して神が与えた、法律のようなものが多く書かれています。それを「律法」と言います。

ただし、この「律法」は、イスラエルの民のためのものであり、私たち異邦人(イスラエル以外の民族、あるいはユダヤ教徒以外の人々)には与えられていないと、聖書には書かれています。
それゆえ律法の中には、ユダヤ教の祭儀に関連したものなども多く含まれています。
【旧約聖書を構成する内容 ④】知恵
聖書には「世の中を渡って行くための処世訓」や「人間関係に関する知恵」など、実生活で役立つような教えも、数多く記されています。
特に、知恵者として有名であったソロモン王によって記された「箴言」などは、いわゆる「格言集」のような体裁をとっており、多くの知恵に満ちています。
新約聖書を構成する「4つの主な内容」
- 「イェシュアに関する記録」 → (福音書)
- 「弟子たちに関する記録」 → (使徒行伝)
- 「手紙」 → (ローマ人への手紙 etc)
- 「預言」 → (ヨハネによる黙示録)
【新約聖書を構成する主な内容 ①】イェシュアに関する記録
新約聖書の冒頭に配置されているのが、4つの「福音書」と呼ばれる書物です。
これは、イェシュアの生涯が記された書物で、新約聖書の中核をなす書であると言えます。
【新約聖書を構成する主な内容 ②】弟子たちに関する記録
「福音書」の次に配置されているのが「使徒行伝」や「使徒言行録」などと呼ばれる書物で、これは、イェシュアの十字架後の弟子たちの足取りを記録したものになります。
【新約聖書を構成する主な内容 ③】手紙
「新約聖書」の中には、弟子たちの残した数多くの「手紙」が収録されています。新約全体の割合的には「福音書」に次いで、この手紙がかなりの部分を占めています。
【新約聖書を構成する主な内容 ④】預言
新約聖書の最後に配置されているのが「ヨハネによる黙示録」と呼ばれる、預言の書です。
多くの預言が「象徴的」に示されていることから、さまざまな解釈がなされ、非常に難解な書ともされています。
また一方で、この書を理解する複数の「鍵」が、旧約聖書の中に散りばめられているという、とても興味深い書でもあります。
【内容の要約】旧約聖書のあらすじ



旧約聖書は、かなりボリュームのある書物なので、主要な書物をピックアップしてご紹介していきたいと思います。
ただ、旧約聖書のかなりの部分は、物語形式で書かれているため「難解な哲学書」や「専門的な学術書」なんかに比べれば、そういった部分は比較的読みやすいと言えるかと思います。

《 目次 旧約聖書のあらすじ 》
神によって天地が創造され、その地を治める存在として、人類の祖である「アダムとエバ(イヴ)」が置かれた。
だが、ほどなくして彼らは道を踏み外し、エデンから追放される。
人類は増え広がっていったが、神から離れた者たちの治める地には、悪や不正が満ちていた。
そこで神は、まっ直ぐな心を持ったノアとその家族に方舟を造らせ、洪水によって地上から悪を一掃する。


洪水後、神は自身から離れ、罪と死の奴隷と化してしまった人類救済の計画を成就すべく、ノアの子孫であるアブラハムを選び出し契約を結ぶ。
それは「彼の子孫が星の数のように増える」「彼の子孫が約束された地を受け継ぐ」「地上の民族はすべて、彼によって祝福に入る」というものであった(アブラハム契約)。
彼の家督をイサクが、さらにはヤコブ(のちにイスラエルと改名)が継ぎ、このヤコブの12人の子が、それぞれ「イスラエル12氏族」の祖となった。
その後、飢饉に苦しんでいたヤコブとその一族は、エジプトで高位についていた息子のヨセフの計らいにより、エジプトへと移住する。


ヤコブの一族が移住してからのち400年間、イスラエルの民はエジプト人の奴隷となっていた。
数を増し、強大になったイスラエル民族を脅威に感じたエジプト王は、彼らの力がこれ以上増大しないよう、過酷な重労働を課し、生まれた男児を皆 殺すよう命じる。
やがて、神の計らいで殺されずに生き延びた、あるひとりの男が神からの命を受け、イスラエルの民をエジプトから去らせるよう、王に願い出た。
しかし、モーセのその請願は却下され、さらに過酷な重労働を課せられてしまう。
厳しい重労働に民も意欲を失う中、神は「疫病」や「イナゴによる害」など、次々とエジプトに災いをもたらす。

かたくなに民の解放を拒み続けていた王であったが、「エジプト中の初子を撃つ」という10番目の災にいたって、ようやく民が国を去ることを認める。
ところがその後、態度を急変させた王は民を去らせたことを後悔し、軍隊と共にエジプトから逃亡した民を追いかけ、紅海を前にしてイスラエルを追い詰める。
神の介入によって2つに裂けた紅海を渡っていく彼らを追いかけ、エジプト軍も渡りはじめるが、海に飲み込まれ壊滅してしまう。
エジプト軍の追跡から逃れ、シナイ山へとたどり着いたのち、神はイスラエルの民に「十戒」および「律法」を与え、彼らと契約を結ぶ(モーセ契約)。
これは、”律法を守れば祝福され、破れば呪われる” という契約であった。




【物語の背景】
モーセのあとを継いだヨシュアに率いられ、カナンの地を征服していったイスラエルの民は、氏族ごとに土地を得、定住するようになる。イスラエルの民は神から、口にするのも恥ずべきほど性的に乱れ、土地を穢していたカナンの原住民を、ことごとく滅ぼすよう命じられていたが、途中で妥協し、彼らと共存する道を選択してしまう。その後、イスラエルは「士師」と呼ばれるリーダー的な存在を中心とした時代へと入っていった。
神の恵みによって生を受けたサムエルは、乳離れすると、祭司エリのもとへと預けられた。
成長するにつれ、神の言葉を民に伝える「預言者」として人々の信頼を得ていったサムエルは「士師」として人々を指導し、民衆の精神的な柱となっていった。
サムエルは年老いたが、あとを継ぐべき2人の息子が、父の道を歩まぬ利己的な者たちであったため、民衆は王の必要性を訴える。
神による統治を捨てて、人間の王による統治を望む民の姿は、神の目に悪と映ったが、神はサムエルに民衆の望むままにするよう命じる。
神によって選ばれたサウルを王とし、王国となったイスラエルであったが、仇敵であるペリシテ人との戦いで苦境に立たされてしまう。
不安にかられたサウル王は、律法を無視して、祭司にしか許されていなかった捧げものを、自らの手で行ってしまう。
その後も、神の命に背く王に対し、サウルから別の者に王権が移されることを、サムエルから預言される。
その後、神の計らいによってサウル王に取り立てられたダビデは、メキメキと頭角を現していった。
民衆や家臣たちの心がダビデへと移っていくことに、恐れと激しい嫉妬を抱いたサウルは、彼を戦いの最前線に立たせ、戦死するよう図る。
しかし、このダビデこそが、神よって油注がれた者*であった。
* 古代イスラエルでは、ある人物を王や祭司に任命する際、その者の頭に香油をそそぐ習わしがあった。

「油注がれた者」という意味だよ。

神に守護されていたダビデは戦死するどころか、出陣するたびに勝利を収め、名声を得ていく。
ついにサウル王は家臣全員にダビデ殺害を命じるも、王子であるヨナタンの計らいによって、ダビデは逃亡する。
ダビデを執拗に追跡し続ける中、再びペリシテ人が攻め上ってくる。恐れおののくサウルは、神に助言を求めるも、神はすでに彼のもとを離れ去っていた。
困惑し、追い詰められたサウルは、またしても神の戒めを破り、律法で禁じられていた「口寄せ」に手を出してしまう。
口寄せの女をとおして現れたのは、他界していたサムエルの霊であった。
サウルの行いを厳しく非難したサムエルは、明日、サウルと息子のヨナタンが死ぬであろうことを預言したのであった……。

国外に身を寄せていたダビデのもとに、イスラエルの敗北を知らせる男がたどり着いた。
ダビデは親友であり、命の恩人でもあるヨナタンの死と、サウル王の自害を知る。
国内へと戻ったダビデは、12氏族のひとつであるユダ族の王に即位する。
一方、サウル軍の司令官であったアブネルは、サウルの子であるイシュ・ボシェトを王に擁立したため、イスラエルは内戦状態となる。
内戦状態は長く続いたが、次第にダビデ方が優勢となり、サウル家は衰退していった。
その後、アブネルとイシュ・ボシェトが暗殺されると、イスラエルの全氏族の長老たちはダビデのもとへ来て、彼に油を注いだ。
こうしてダビデは、イスラエル全土の王として即位し、イスラエルの全盛期がはじまる。
ところがある日、ダビデ王は、既婚の身であったバト・シェバに心を惹かれてしまう。そして、彼女を招き入れた末、身ごもらせてしまう。
事の発覚をおそれたダビデは、根回しするも、思うようにいかない。
ついにダビデは、彼女の夫であるウリヤを最前線に送り、意図的に戦士させてしまう。
神は預言者ナタンを王のもとへ遣わし、ダビデの犯した「姦淫」と「殺人」の罪を厳しく叱責し、”家臣による謀反” と”王の妻が全員取り去られること”、そして”生まれてくる子が死ぬこと”を告げる。
その後、預言のとおりに、ダビデは自らの子であるアブサロムに謀反を起こされ、ダビデと彼に付く家臣たちは、都であるエルサレムを脱出した。
エルサレムへと入城したアブサロムは軍を整え、父ダビデを撃つべく出陣する。
両軍はエフライムの森で衝突し、アブサロム軍は大敗北を喫する。
ダビデはアブサロムの命までは奪わないよう命じておいたが、指揮官の1人であるヨアブは、王の命に反し、危険分子であるアブサロムを殺害してしまう。
ユダ族をはじめ、多くの民衆に迎え入れられ、再び都へと帰還したダビデであったが、愛する息子を失った王の心に、勝利の喜びはなかった。



ある日サタン*は、義人として認められていたヨブの信仰を試すことを神に持ちかけ、ヨブ自身には手を出さないことを条件とし、許可される。
* 神に背く霊的勢力の中心的な存在で、アダムとエバをそそのかし、全人類を罪におとしいれた張本人。聖書によれば、現在、地上を支配しているのは、このサタンであると教えている。
こうして、ヨブに次々と災難が及ぶこととなった。
財産であった家畜は略奪者たちに襲われ、牧童や羊飼いたちも殺されてしまう。
さらに、荒れ野から吹く大風によって家屋が倒壊し、愛する子どもたちさえもを失うにいたる。
だがヨブは、神への信仰を失うことはなかった。
そこでサタンは「彼の骨と肉に触れれば、神であるあなたを呪うに違いありません」と神に持ちかける。
そして「命までは奪わないこと」を条件に、再び許可を得る。
まもなくヨブは、全身、思い皮膚病にかかり人生に絶望するも、神への信仰を捨てることはしなかった。
彼を見舞いなぐさめようと、3人の友人が来るが、ヨブの激しい苦痛の前に、声をかけることもできないほどであった。
友人たちの前で、自らの生まれた日を呪い、生まれてきたことを激しく後悔しながら嘆くヨブ。
絶望し「御手を下し、滅ぼしてください」と、神に死を願うヨブに対し、友人らは諭し、いさめる。
そして「正しく無垢な者が災いを受け、神に逆らう者たちが災いを免れている」と主張するヨブと友人らの間で、長い議論に発展していく。
ヨブに不正があるから災いを受けているのだとする友人らに対し、ヨブは自分に不正はなく、神が訴えを聞いてくだされば自分は神の前に正しい者とされるはずだと潔白を主張し、神が沈黙していることを嘆く。
神よりも自分を正しいとするヨブと、彼を説き伏せることのできない友人らに憤りを感じ、年若のエリフが鋭く彼らを批判する。
そして嵐の中から、ついに神ご自身がヨブに語りかけ、彼の思い上がりを厳しくいさめる。
神の言葉を受け、ついにヨブは自身の高慢さと無知を認め、自分を退け、思いを新たにすることを誓う。
その後、神はヨブをもとの境遇へと戻し、これまで以上に彼の人生を祝福した。

ならんで、3大預言書のうちのひとつなんだってさ。
【物語の背景】
ダビデの跡を継いだソロモンは、神から知恵を授けられた有能な王であったが、老境に入ると妻たちに心を惑わされ、異教の神々を信奉しはじめる。また、妻たちの求めに応じ、各地に異教の神々のための祭壇をも築いてしまう。
国中に偶像崇拝が蔓延する中、神はソロモンに「他の神々に従ってはならない」と2度にわたって思いを伝えるが、彼はそれに聞き従わなかった。それゆえ、神の怒りを招いた王国は南北に分裂し、「北のイスラエル王国」と「南のユダ王国」は、長年にわたり対立するようになっていく。
その後、神の教えに従わない王が次々と輩出される時代に入り、神は預言者たちをとおして「悪の道を離れ、私に立ち返れ」と何度も訴えるが、人々は耳を傾けない。そしてついに神の怒りが満ち、北王国は滅ぼされてしまう。しかし、一方の南ユダ王国も、その状況は同じであった……。

ある日、エレミヤに預言者としての使命が与えられ、ユダ王国に北から災いが降りかかることが告げられる。
彼はエルサレムに遣わされ、ユダの人々が神を捨て、偶像*を拝んでいることを指摘し「なぜ私に背くのか」と神の言葉を告げ、問いただす。
* 木・石・土・金属などで作った像のこと。
神はエルサレムに語る。「同じく背信によって滅びたイスラエルも、ユダに比べればまだ正しかった」と。
また神は語る。「民の中には悪い者がおり、その悪には限りがない」と。「みなし児を助けもせず、貧しい者たちを不当に扱っている」と。「これらのことを罰せずにいられようか」と神は言われる。
神は数十年という長い年月に渡って、エレミヤや正しい預言者たちをとおし、悪の道を捨て、神に立ち返るよう警告したが、民は神の言葉を侮り、耳を傾けはしなかった。
そんな中、正しき神の預言者ウリヤがユダの王によって捕らえられ、処刑されてしまう。
多くの預言者たちが偽りの平和を預言し、民を惑わす中にあって「背信に対する糾弾と、神による裁き」を語ることは命がけであった。
ある日、神は民が悪の道から立ち返ることを期待し、エレミヤにこれまでの預言を書き記すよう命ずる。
エレミヤは、預言を記した巻物を書記のバルクに託すと「神殿にいる人々に語り聞かせるように」と命じた。
すると、バルクによって語られた預言を伝え聞いた役人たちは、ことの重大さに気づき、エレミヤとバルクに身を隠すよう告げると、ユダの王ヨヤキムに報告した。
王は巻物を取って来させ、読み上げるよう命ずる。
ところが王は、読み終えた部分をナイフで切り裂くと、次々と暖炉の火で燃やしてしまう。
そして「巻物を燃やさないでください」という役人たちの懇願もむなしく、巻物はすべて燃やされてしまった。
さらに王は、エレミヤとバルクを捕らえるよう命じたが、神は2人をかくまわれた。
そしてついに神による裁きが下り、預言どおりに、北から新バビロニア王国が攻めてきた。
エルサレムを包囲されるも、エジプト軍の進撃により、バビロニアの軍隊は一時、撤退する。
そんな折、エレミヤが「バビロニア軍への投降の疑い」をかけられ、暴行されたあげく、投獄されてしまうという事件が起きる。
新たに王位についていたゼデキヤの計らいにより、「地下牢」から「監視の庭」への留置へと移されたエレミヤであったが、そこで再び、”バビロニアによる都の破滅と、生きのびるために投降せよ”との預言を人々に語りはじめる。
激怒した役人たちは、彼を水溜めの中へと投げ込んでしまう。
宦官*の忠言により、再びゼデキヤ王に助け出されたエレミヤは「バビロニアに降伏せよ、そうすれば都は火で焼かれずに済み、あなたの命も助かる」との神の言葉を王に伝える。
* 宦官(かんがん)…… 後宮(妃などの住まい)に仕える、去勢された男子。王に重用され、強い発言権を持つ者もいた。
数年後、再びバビロニア軍が来襲し、エルサレムは包囲される。そして、都の一角が破られると、王と戦士たちは逃げ出してしまう。
捕らえられたゼデキヤは、目の前で王子たちを殺され、両目をえぐり取られたあげく、バビロンへと連行されてしまうのであった。
長年にわたるエレミヤたちの警告もむなしく、ついに都は炎に包まれた。神殿の祭具はすべて持ち去られ、多くの人々がバビロンへと捕囚されてしまう。
一方で、バビロンの王による好意を得たエレミヤは「監視の庭」から釈放され、エルサレムに残された貧しい人々と共に、都にとどまることとなった。
人々が絶望する中、残された民の監督役としてバビロン王が立てたゲダルヤが暗殺される、という事件が起こる。
バビロン王の報復を恐れた人々は、エジプトへ逃れることを念頭に、エレミヤのもとをおとずれ、神の助言を求めた。
「私たちは神の言葉どおり、すべて実行いたします」との誓いを立てる人々。
10日後、エレミヤに神の言葉が臨む。それは「バビロンの王を恐れず、この地に留まれ。私があなたたちと共にいて必ず救い出す。エジプトへ逃れれば、剣、飢饉、疫病の災いに会い、死に絶えるであろう」という預言であった。
ところが、民の中の高慢な者たちは、エレミヤの預言を偽りだとし、我々を殺すための策略だとさえ訴えはじめる。
こうして民は、神の声に聞き従わずユダの地を離れた。


ユダの人々はエジプトの各地に移住すると、まことの神に背を向け、その地でまたしても異教の神々に香をたき、再び偶像崇拝をはじめるのであった。
民衆と共にエジプトへと下っていたエレミヤは「なぜ、再び悪をくりかえすのか、どうして私が授けた律法に従って歩もうとしないのか」と、神の言葉を必死で伝えるも、人々は彼に反論する。
「我々はあなたの声には聞き従わない。我々は豊かで災いを見ることはなかったのに、天の女王に香をたくのをやめたから滅亡の状態におちいったのだ」と。
こうしてユダの人々は、最後まで神の言葉を退け続けた。
かたくなな彼らに対し、神は語るのであった。「剣と飢饉に襲われるとき、私の言葉と彼らの言葉のどちらが本当であったかを、お前たちは悟るであろう」



【内容の要約】新約聖書のあらすじ



- 「マタイによる福音書」のあらすじ
- 「使徒行伝(使徒言行録)」のあらすじ
【要約】マタイによる福音書のあらすじ
【物語の背景】
紀元前539年、新バビロニア王国がメドペルシャ(メディアとペルシャの連合軍)によって滅ぼされると、バビロン*の地に捕囚されていたユダヤの民は解放された。異国の民に寛容的な政策をとったペルシャの王、キュロスの許可を得て、ユダの人々は神殿の再建に着手する。こうして、南のユダ王国は復興していった。
時が流れ、アレキサンダー大王が台頭してくると、ペルシア王国は滅亡する。幸いにも、彼はエルサレムに手を下すことはしなかった。大王の死後、ギリシャ帝国は分裂し、急速に力を落とす。
そんな折に勢力を拡大してきたのが、ローマ帝国であった。そして、ユダヤの地も、このローマ帝国の属州として、彼らの統治下に置かれることとなる。民衆の鬱憤は溜まり、人々の間にはローマ帝国からの解放者としての「メシア到来」を期待する機運が高まっていた。
* バビロン…… 新バビロニア王国の首都。


* フラウィウス・ヨセフス…… イェシュアとほぼ同時代を生きた 古代ユダヤの歴史家。上記のエピソードは、『ユダヤ古代誌 3』 ちくま学芸文庫より。
ある日、ユダヤの王となる者が誕生したことを知った占星術の学者たちが、エルサレムへとやってくる。
自らの地位がおびやかされることを恐れたヘロデ大王*は、子供が特定できなかったため、メシアの誕生が預言されていた町、ベツレヘムの赤子を皆殺しにするよう命ずる。
* この当時、ユダヤ王国を統治していた王。彼自身はユダヤ人ではなく、ローマ帝国と癒着して、ユダヤ王の地位を得た。冷酷で、猜疑心の強い人物として知られ、血縁者を含め多くの人々を殺した。
神は、マリアの夫であるヨセフの夢の中で、エジプトへ逃れるよう告げる。
王の死後、ヨセフとマリアは赤子と共にイスラエルへと戻り、ガリラヤ地方の「ナザレ」という小さな町で暮らした。
それから数十年の時が流れたころ「ヨハネ」という名の預言者が現れる。
「神の国は近づいた。罪から離れ、思いを新たにせよ」と告げ知らせる彼のもとへ、ユダの人々はこぞって洗礼を受けにきた。


洗礼はクリスチャンたちが始めたんじゃなくて、この当時、すでにユダヤの人々の間で行われていたんだ。
そんな彼のもとへ、ある日、たくましく育ったイェシュアが洗礼を受けにやってくる。
「私こそあなたから洗礼を受けるべきです」と固辞するヨハネであったが、イェシュアの願い通り、洗礼を授けるのであった。
その後、イェシュアは40日間の断食を経ると、民衆に教えを述べ伝えはじめる。
人々は、彼の教えに驚く。彼が律法学者*たちのようにではなく、権威ある者として教えたからであった。
* ファリサイ派・サドカイ派らと共に、ユダヤ教の指導的な立場にいた人々。
各地をめぐる中で次々と病人を癒やし、悪霊に憑かれた者たちを解放していくイェシュアは、またたく間に人々の信頼を勝ち得、つねに群衆に取り囲まれるようになっていく。
民衆の多くは、彼のことを偉大な預言者としてとらえていた。中でも、彼のことをメシアとして認めた者たちは、すべてを捨て、彼の弟子となる道を選んだ。
反面、律法学者やファリサイ派といった、本来、民を導く立場にある者たちからは妬まれ、命すら狙われるようになっていくのであった。
彼らはイェシュアがメシアであるとは信じず、むしろ自分を権威ある者とすることで、神を冒涜しているとみなしていた。
イェシュアは自分に従う者たちの中から12人を選び、彼らを各地へ遣わすことで、さらに教えを広めていった。
しかし、当然ながら、彼の教えを拒む人々も数多く存在するのであった。
イェシュアは「種をまく人」のたとえを用いて、弟子たちに語る。
「御言葉の種をまいても、多くの場合、悪い者たちに奪われてしまったり、石だらけの土地で根を張ることができずに枯れてしまったり、世の思いわずらいや富の誘惑という名の茨におおわれてしまうのだ。しかし、良い土地にまかれたもの――すなわち御言葉を聞いて悟る者たちは、多くの実を結ぶのだ」と。
「彼を捕らえるための罠」や「指導者層からの批判」が激しさを増す中、イェシュアは”自分がやがて彼らの手にかかって殺されること”、しかし、”3日目に復活することになっていること” をくりかえし、弟子たちに伝えはじめる。
だが弟子たちはそのことが理解できず、信じようとはしなかった。
律法学者たちは、イェシュアによる痛烈な批判を受け、彼に対する憎悪を増し加えていく。
そして時は満ち、イェシュアは弟子たちと共にエルサレムへと向かった。
壮麗な神殿の姿に感動する弟子たちに対し、その崩壊を預言するイェシュア。さらに彼は、世の終わりにおとずれる苦難についても預言し、弟子たちを戒める。
季節は折しも「過ぎ越しの祭り*」の時期であった。
* ”モーセによるエジプトからの解放” を祝う祭りで、民の罪をあがなう(代価として金品のような貴重なものと引き換えに、罪をゆるしてもらうこと)ため、「傷のない子羊」をいけにえとして捧げる、ということがなされた。
その裏で、12弟子のひとりであるイスカリオテのユダは、祭司長たちとひそかに裏で手を結び、イェシュアを引き渡す機会をねらっていた。
祭りの第1日目、彼は弟子たちと「過ぎ越しの食事」を設けた。これが、師と過ごす最後の晩餐となることを、弟子たちは知るよしもなかった。
食事の後、弟子たちを連れて「ゲッセマネ」と呼ばれる園で祈っていると、ユダを先頭に、祭司長たちの遣わした大勢の群衆がやってきて、彼を捕らえた。
弟子のひとりに裏切られ、逮捕されたイェシュアは、不当な裁判にかけられてしまう。
「お前はメシアなのか?」と問う大祭司。
イェシュアは答える。「あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗ってくるのを見る」
すると人々は、彼が神を冒涜したと狂わんばかりに叫び、つばを吐きかけ、殴り、平手で打った。
「メシア、お前を殴ったのは誰か、言い当ててみろ」と侮辱されても、彼は黙ってその屈辱に耐えるのであった。
夜が明けると、祭司長たちは彼をローマの総督ピラトへと引き渡す。
ローマ帝国から死刑にする権限を剥奪されていたため、自分たちでは彼のことを死刑にできなかったからであった。


見えざる神の手によって動いているのかなぁ💧
ピラトに尋問されるイェシュア。しかし、彼に罪は見いだせなかった。
祭司長たちが妬みから彼のことを訴えていることを見抜いたピラトは、イェシュアを釈放しようと努めるが、祭司長や長老たちに煽動された群衆は「十字架につけろ!」と叫び続けた。
群衆の激しい気迫に押され、大きな騒動に発展することを危惧したピラトは、ついに彼の死刑を認め、彼を鞭打った後、その身柄を群衆の手に引き渡してしまう。
ローマの兵士たちは彼に茨の冠をかぶせると、その前にひざまずき「ユダヤ人の王、万歳」と言って侮辱し、つばを吐きかけ、なぶり者とした。
イェシュアは刑場である「ゴルゴダの丘」まで十字架を負わされるが、途中で力尽き、倒れてしまう。


しかたなく、ローマ兵はそばにいたシモンという名の男に十字架を担がせ、イェシュアはゴルゴダの丘へとたどり着く。
十字架につけられ、激しい苦痛の中にあるイェシュアに対し、人々は言った。
「神の子ならば自分を救ってみろっ!」
祭司長たちや律法学者、長老たちも彼を侮辱して言う。
「他人は救ったのに、自分は救えないイスラエルの王よ。今すぐ十字架から降りてくるがいい。そうすれば信じてやろう」
正午になると、あたりは急に暗くなった。そして午後の3時ごろ、イェシュアは大声で叫ぶと、息を引き取った。


夕方になると彼の遺体は降ろされ、きれいな亜麻布で包み、岩をくり抜いた墓へと葬られた。
墓の入口は大きな石を転がしてふさがれたが「弟子たちが妙なマネをするかもしれない」と、祭司長たちは番兵たちを遣わし、墓を見張らせた。
律法によって働くことが禁じられている「安息日」が終わり、週のはじめになると、イェシュアに付き従っていたマグダラのマリアたちは、墓へおもむいた。
すると彼女らの前に御使いが現れ、イェシュアは既に復活したことが告げられる。番兵たちは恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになってしまっていた。
その後、11人の弟子たちと再会を果たしたイェシュアは、彼らに命じた。
「あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたすべてのことを守るように教えなさい。見よ、私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」


復活だの神の計画だの、チョット信じらんないなぁ。

【要約】使徒行伝のあらすじ

復活したイェシュアは、40日にわたって弟子たちに現れ、彼らを教えたあと、天へと引き上げられた。
弟子たちは「聖霊による洗礼を受けるまでは、エルサレムに留まっていなさい」というイェシュアの指示を守り、都から離れずにいた。
「過ぎ越しの祭り」から50日目にあたる「五旬祭」の日ことであった。
激しい風が吹いてくるような音が突然、弟子たちのいた家屋に響きわたる。
そして「神の霊」とも呼ばれる聖霊が弟子たちに下り、知るはずもない異国の言葉で、神を賛美しはじめた。
騒動を聞きつけ、大勢の人々が集まってくる。群衆は、ユダヤ人である弟子たちが、自分たちの故郷の言葉で話しているのを聞いて、あっけにとられていた。

「酒に酔ってるんだ」とあざける者もいる中、12弟子のひとりであるペテロは群衆に呼ばわり、”人々が十字架につけて殺したイェシュアこそが預言されていたメシアであったこと” を訴えかける。
また、詩篇にあるメシア預言を引用して ”彼が死からよみがえったこと” を証言した。
「彼がメシアであったことを受け入れ、邪悪なこの時代から救われなさい」と語りかけるペテロの呼びかけに応え、この日、3千人近くの人々が弟子たちの証言を信じ、仲間に加わったのであった。
その後も使徒たちは都に留まり、人々の前で不思議な業としるしを行っていたため、イェシュアをメシアとして信じる者たちは、日毎に増えていった。

ある日、ペテロとヨハネが、神殿の前で物乞いをしていた足の不自由な人を癒やした。
驚き、いっせいに彼らのもとへと集まってくる民衆に対し、ペテロは「彼の足を癒やしたのは自分たちの力ではなく、神の力によるのだ」と教えさとす。
彼らが、聖書に記されたメシア預言を示しながら再びイェシュアの証言をし「思いを入れ替えて、立ち返りなさい」と訴えていると、祭司たちがやってきて、2人は逮捕されてしまう。
翌日、大祭司の一族までがやってきて、2人は真ん中に立たされ厳しく尋問される。
ところが、聖霊に満たされ力を得たペテロは、逆に、彼らがメシアを十字架につけて殺してしまったことを鋭く指摘しつつ、大胆な態度でイェシュアを証言しはじめるのであった。
実際に足を癒やされた男がかたわらにいたこともあり、ひとことも言い返すことができない祭司たち。
彼らは、苦し紛れに「今後、あの男のことについて話してはならない」と脅してから2人を釈放する。
人々が、使徒たちの行った癒やしの奇跡のことで神を賛美していたため、民衆を恐れた彼らは、どう処罰すればよいのか分からなかったからであった。
使徒たちは、その後も証言をやめなかった。
しかし、次第に彼らに対する迫害が激しさを増し、使徒以外の者たちは都を離れ、各地へと散っていってしまう。
ある時、激しく迫害する者のひとりであったパウロにイェシュアが現れ、改心してしまうという事件が起こる。
人が変わったかのように、イェシュアの証言をしはじめるパウロに、戸惑うクリスチャンたち。
しかし、この迫害者であったパウロこそが、神に用いられ、この後、異邦人たちへ広く、イェシュアのことを述べ伝える者となるのであった。


さいごに
いかがだったでしょうか? 聖書について「こむずかしい宗教本」というイメージを持っていた方にとっては、意外と「物語風の内容」に驚かれたかもしれません。
ただ、前者のような要素が多分に含まれていることも事実であり、聖書はけっして読みやすい書物とは言えません。
言い方を変えれば「読む人を選ぶ書物」だと言えるかもしれません。
今回はそのような聖書を、なるべく噛みくだいて、誰にでも読みやすいようにまとめてみたつもりです。
この記事が、少しでも参考になってくれれば幸いです。


今後、私たちのこの旅は、さらに深い領域へと歩を進めていくことになります。
この書が、”神から人へ宛てた、壮大な計画を記した契約の書” であることを知っていただき、この先の旅に備えてください。
長い記事を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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眠れる羊くん この記事の内容は、動画でも観れるよ♪ https://youtu.be/8B6DUN4CW18 K ~ 聖書は信じるに値するか? No.5 ~ この記事では、「聖書に[…]

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