本気で自分を変えたいならば、人生の土台から変える必要がある


居眠りしている羊(右向き)眠れる羊くん
この記事の内容は、You Tubeでも観れるよ♪




聖書を信じる羊(右向き) K
~ 聖書は信じるに値するか? No.2 ~


  この記事では……、
「なぜ、聖書を人生の土台にするべきなのか?」
「聖書を土台とする事で具体的に自分がどう変わるのか?」
についてお伝えしています。



「自分を根底から変えたい」
「ストレス社会を柔軟に生き抜く知恵を身につけたい」



と思われている方は、ぜひご覧になってみてください。


あなたはこれまで、自分を変える方法を、あれこれと試してきたかもしれません。

では、それらによってあなたは変われましたか?



もちろん「変われた」と言う方もいるでしょう。しかし多くの場合、自分が望んだような結果は得られなかったのではないでしょうか?


私はそうでした。住む場所や仕事を変えてみたり、成功哲学の本を読みあさったり、ポジティブな思考を意識してみたり、アファメーションをしてみたり……


けれど小手先のテクニックでは、大きな変化を起こすことなどできません。


本当に変わりたいならば、あなたの人生の軸である「価値観」や「人生観」に大変革をもたらす必要があります。



そして、その大変革を起こすのに、聖書以上にすぐれた書物は、他には存在しないのです。



我、苦に溺れて嘆く頃。他も苦に溺れて嘆く時。故に他と差を生むのは、その時。
出典:智永翔介の格言日記


からだに必要なもの、全部入り。BASE FOOD

※栄養素等表示基準値に基づき、脂質・飽和脂肪酸・n-6系脂肪酸・炭水化物・ナトリウム・熱量を除いて、すべての栄養素で1日分の基準値の1/3以上を含む。

自分を変えたいなら、堅固な土台を築き直す必要がある

岩の上に建てられた城は、自分を変えたい人のための象徴。

私たちはそれぞれ、なんらかの土台に立って生活しています。


大抵それは

  • 親の教育
  • 学校での教育
  • 部活動での経験
  • 習い事での経験



などによって培われてきたものの複合体です。


戦後、私たち日本人の土台は、外部からのさまざまな思惑や、私たち自身の無分別によって弱体化の一途をたどり、現代では大いにグラついています。


そのことは、若者を中心とした15~39歳の死因 第1位が、すべて「自殺」であるという事実が証明しております。



居眠りしている羊(右向き)眠れる羊くん
これは、どう考えても異常な事態だよね……💧



戦争で亡くなった方々の遺書などを見ますと「これが本当に、10代や20代の青年が書いた文章なのか?」と、驚くほど高潔で精神がしっかりとしている様子が伝わってきます。


おそらく当時は、「家庭教育」や「学校教育」の質が今よりもよほど高かったのでしょう。

現代の私たちが「自分を変えたい」「新しい自分になりたい」と思うことの背景には、堅固な土台が築けていないことに対する「本能的な危機感」のようなものがあるのかもしれません。



では、この土台は「親離れしたあと」「学校教育を終えたあと」では、もう変えることはできないのでしょうか?



いえ、そんなことはありません。もちろん1日2日でできるものではありませんが、今からでも十分、人生の土台を築き直すことは可能なのです。

ここでいちど立ち止まって、自問してみてください。あなたは今、何を人生の土台としていますか?


それは堅固なものですか?
それとも脆弱で不安定なものですか?


何を人生の土台としているかで、私たちの人生は大きく様変わりするのです。



聖書を信じる羊(右向き)K
聖書には以下のような言葉があるよ!


† 私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い者にたとえられよう。

雨が降り、洪水が来て、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。

また、私のこれらの言葉を聞いて行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚か者にたとえられよう。

雨が降り、洪水が来て、風が吹いてその家を襲うと倒れ、しかもその倒れ方はひどかった。


マタイによる福音書 7:24~25



自分を変えたい | なぜ聖書を土台とすべきなのか?

聖書は、自分を変えたい人たちのための人生の土台。



居眠りしている羊(右向き)眠れる羊くん
土台を築き直す必要があるのは分かったけど、なんで聖書である必要があるわけ? 他の思想や哲学でもいいんじゃない??



眠れる羊くんの言うことは、もっともなことのように聞こえます。


その答えを確かめるのに、もっとも確かな方法は、実際に他の思想や哲学で自分が根本から変われるかどうか試してみることです。


そして、もしそれらがすべてダメだったら、最後に聖書を試してみると良いでしょう。

ただ「わざわざ遠回りする必要はない」というのが、私の考えです。なぜなら、前者のやり方は膨大な時間と労力を必要とするからです。



聖書を信じる羊(右向き)K
ヒルティさんも、以下のように述べているよ


たとえこれ*が我々の「空想」に過ぎないとしても、少なくともそれは、人を幸福にする力をもつ空想である。

しかし、一つの力であるものが「現実的」とは認められず、かえって力を持たぬもの**が現実的だというのは、とうてい承服できない。

我々にとっては、結果は原因の証拠である。


『幸福論(第一部)』ヒルティ著 草間平作 訳 岩波文庫


* 神と共に歩むことによる現実的な幸福感。
** 幸福感を作ることができなかった、現実主義者による哲学の類。



聖書を信じる羊(右向き)K
「本当の幸せって何だろう?」って感じている人にはヒルティさんの「幸福論」をオススメするよ!



哲学には自分勝手に発明されたおびただしい術語があって、これが通り抜けることのできない垣根のように、普通の人間の理解力や言語能力の領域から哲学を遮断している。

しかし、日常普通の用語法では、言葉は何らかの確定した内容の記号であって、決して無の記号ではない。

今、哲学の術語をこうした普通の言葉に翻訳するならば、このおおわれた女神は、その力と威厳との全体を包んでいる面紗《ベール》をはぎとられるであろう。


『幸福論(第一部)』ヒルティ著 草間平作 訳 岩波文庫



居眠りしている羊(右向き)眠れる羊くん
哲学って、何だか難しい言葉づかいで、スゴイもののように見えるけど、ふつうの言葉に置き換えたら「あれ? 大したこと言ってないじゃん」ってこと??




また、人生の土台に聖書を採用すべき理由として、この書が

「スピリチュアルな世界」について言及されたものであり、目には見えない霊的な世界との正しいかかわり方について教えてくれるものだから、


ということも挙げられます。


信じる信じないにかかわらず、私たちは目に見えない世界の影響を大きく受けて、日々の生活を送っています。


あなたは、まるで自分の人生が「何らかの見えない力」によって翻弄(ほんろう)されているみたいだ、と感じたことはありませんか?



もし、答えが「イエス」なら、それは「思い込み」や「気のせい」なんかではなく、実際にそのような力に翻弄されているのです。少なくとも、聖書はそのように教えています。


正しい霊的な知識なくして生きることは、ちょうど、目隠しされた状態で戦場のただ中にいるようなものです。



この世がどのような場所で、その中において自分が如何なる状況に置かれているのかをまず知らなければ、それらの力に翻弄されてしまうのです。

そして「聖書の教え」とは、”霊的な防御力を高め、霊的な力を増すための最強の指南書” でもあるのです。



聖書を人生の土台とする事で生じる「8つの変化」

自分を変える旅への出発。



居眠りしている羊(右向き)眠れる羊くん
聖書の教えを土台にして生きたからって、なんかいいことあんの? なんつーか、堅苦しくて面倒くさそう……。


聖書を信じる羊(左向き)K
先に結論から言うと、以下の「8つの変化」が起こるんだ。



《 目次:聖書がもたらす8つの変化 》

  1. これまでの唯物的な人生観が180°変わってしまう。
  2. 価値観が激変して人生がシンプルになる。
  3. 人生に対する「耐性」が増し、苦しみに耐えやすくなる。
  4. 判断基準が確立するため、物事の判断に迷うことが少なくなる。
  5. イライラ&動揺していたような事に、うまく対処できるようになる。
  6. 誰も奪えず、何事にも左右されない不動の「希望」が心の奥に碇を下ろすようになる。
  7. 死に対する恐怖がなくなってしまう(むしろ希望に変わる)。
  8. 自分の力だけで生きる必要がなくなる。



聖書を信じる羊(右向き)K
どお? これらすべてが繋がり合って相乗効果をもたらすとすれば、内側に大きな変化がおこると思わない?


居眠りしている羊(左向き)眠れる羊くん
ン~、たしかに……、この中の1つだけでもだいぶ変化しそう。しかも、これらすべてが変わるとしたら……。


聖書を信じる羊(右向き)K
それじゃあ1つひとつ、もう少し詳しく見てみよう。



これまでの唯物的な人生観が180°変わってしまう


現在、私たちの社会では「目に見える物質的なものがすべて」という風潮が蔓延し、「目には見えない世界・霊的な世界・スピリチュアル」などと言うと「この人、頭大丈夫かしら?」と心配される始末です。


けれども「目には見えない世界」が科学的に証明されていないのと同様、その世界がないということも証明されていないわけですから、頭からバカにして切り捨ててしまうのは早計というものです。


聖書では霊的な世界が存在するのだとしています。

”私たちは皆「物質的な世界」と「霊的な世界」のはざまにいる存在なのだ”とするこの聖書の人生観を採用すると、


この世界で生じることや自分の人生で起こる数々の不可解なできごとに、説明がつくようになります。


また、地上での生活が一時的なものでしかないという思いが内に碇を下ろすようになり、


終末預言によって、これから世界がどのような方向へと進んでいくかが分かるようになるため、世の中の出来事を俯瞰して見ることができるようにもなります。


そのため、世界規模で起こるような重大な出来事でも、さほど動揺しなくなるのです。

《 目次:聖書がもたらす8つの変化 》へ戻る



②【価値観が激変して人生がシンプルになる】


人生をどのようにとらえるか? という「人生観」と同様、ものの価値をどう評価するか? という「価値観」も、自分を変えるにあたっては大きな柱のひとつとなります。

そして聖書を人生の土台としはじめると、この「価値観」が激変し、


”たいして重要ではないこと”や、”本質的ではないこと”が徐々に自分の生活から剥がれ落ちていき、その結果、人生が驚くほどシンプルになっていくのです。


「断捨離」という言葉がありますが、ぜひ、この価値観の刷新によって真に本質的な断捨離をしてみてはいかがでしょうか?


人生にはどうでもいい事柄が実に限りなくあるものだが、そうしたことでは常に他人の意思に従うべきである。そうすれば楽に人生が送れるし、良い友達も造作なくできる。

『幸福論(第二部)』 ヒルティ著 草間平作 訳 岩波文庫


もし人が常に、一つひとつの場合に神の意志とその思いが何であるかをひたすら考え、断固としてすべての利己心を捨て去り、神の御心を喜んで行うならば、人生は非常に単純となる。

そうすれば、万事が明瞭になり、道は開け、勇気と力にも事欠かない。

しかし、残念ながらたいていの場合、我々はむしろその道を歩こうと欲せず、絶えず反対の小道で苦しい体験を重ねたのち、むりやりに正しい道に引き戻されねばならないのである。


『幸福論(第三部)』 ヒルティ著 草間平作 訳 岩波文庫


《 目次:聖書がもたらす8つの変化 》へ戻る



③【人生に対する「耐性」が増し、苦しみに耐えやすくなる】


人生に悩みはつきものです。おそらく、この地上に生きている限り悩みはなくならないのでしょう。

しかし悩みはなくならくとも、また、私たちが弱いままであったとしても、希望とよろこびを心の奥に宿しながら生きることは可能なのです。


私は、耳障りの良いなぐさめや、憶測でこのようなことを言っているのではありません。私は自分が経験して知っているから言っているのです。


聖書を人生の土台としても、「苦しみ」や「悲しみ」「悩み」等がなくなるわけではありません。


しかし、聖書の中の数々の教えや、さきほど述べた「心の奥に宿った希望と喜び」によって、さまざまな出来事に対する「耐性」が大幅に増強されるのです。



この1点だけを考えてみても、この古くて力強い、不思議な書物を人生の土台として採用する価値は十分にあると、私は自信を持って言えます。


関連
『【辛い】仕事のストレスで潰れそうなあなたを助けてくれる聖書の処世訓』


《 目次:聖書がもたらす8つの変化 》へ戻る



④【判断基準が確立するため、物事の判断に迷うことが少なくなる】


私は、どちらかというと優柔不断なたちなのですが、聖書を土台としてからは、だいぶマシになりました。


ほんとうに重要な選択をしなければならない場合など、自分のうちに明確な判断基準があるかないかによって、決断力は違ってくると思います。



聖書を信じる羊(右向き)K
また、日常生活においても、この判断基準があることによって、あとで後悔してしまうような選択をせずに済むことが多々あるよ!




例えば、職場でカチンとくるようなことを言われたり、そのような態度を示されたとします。

すると私の心には、言い返したり、やり返したい衝動が反射的に生じます。



しかし、そのあとすぐさま、私の意思とは関係なく、これまた自動的に、以下のような聖書の言葉が私の心に浮かんでくるのです。


†「彼が私にしたように、私も彼に対してしよう。彼の行いに応じて、私もあの者に報いよう」とは、あなたの言うべきことではない。

箴言 24:29



これは、人の言動に対して報いを与えるのは神の役目であって、私たちが自分の手で仕返しをしたりするべきではないし、する必要もないという教えです。

つまり、悪口を言ったその本人は、あなたが何かをせずとも、その行いの報いを勝手に刈り取る、ということなのです。


不思議なのは、歯を食いしばって怒りをおさえようとしなくとも、聖書の言葉を心で反芻(はんすう)しているうちに、怒りの感情がスッと消えてしまうことです。


意志の力で心を変えるのは至難の業ですが、聖書を土台としている場合、荒ぶる心がスッとおとなしくなってしまうのです。


聖書には、このように判断基準となる教えがたくさん詰め込まれているため、物事の判断に迷うことが少なくなると共に、間違った選択をしなくて済むようにもなるのです。


物差しなしにある作品を判断する人とそうではない人々の関係は、時計をもっている人ともっていない人の関係に等しい。

ある人が「二時間経った」と言うと、別の人は「四十五分しか経っていない」と言う。

私は自分の時計を眺め、一方には、「退屈しているね」と言い、他方には、「時の経つのを感じていないね。じっさいは一時間半だ」と言う。

そして、私にも私の時間が流れており、私の時間測定も気まぐれだという人がいても、そんなことは歯牙にもかけない。彼らは、私が時計で判定しているのを知らないのだ。


『パンセ(中)』 パスカル 著 塩川徹也 訳  岩波文庫



《 目次:聖書がもたらす8つの変化 》へ戻る



⑤【イライラ & 動揺していたような出来事に、うまく対処できるようになる】


ささいなことでイライラしてしまうことや、動揺してしまうことに対しても、さきほどと同じ形で、聖書の言葉が心のうちで働きます。


聖書を信じる羊(右向き)K
それは例えば、以下のような感じです。


コロナの影響で、たくさんの失業者が出ているということをテレビで聞き、


「自分も今の仕事を失ったらどうなるのだろう……」


と不安がよぎり、その思いが私のうちに居座ることを、私自身が許してしまうと、たちまち動揺しはじめます。


世の中には不安をかき立てるようなネガティブな情報が飛び交っているので、あなたも似たような経験をしたことがあるかもしれません。


ちなみに聖書では、悪い霊的な存在のことを「空中の権威を持つ者」とも表現しているのですが、これはなんとなく「空間を飛び交う電波」の類を彷彿とさせます――。


そのような時、私の心には以下のような聖書の言葉が思い出され、反芻しはじめるのです。

† 恐れるな、私はあなたと共にいる。うろたえるな、私はあなたの神なのだから。私はあなたを強め、あなたを助け、私の公正なる右の手であなたを支える。――あなたの神、主なる私は、あなたの右の手を取って言う、恐れるな、私はあなたを助ける。

イザヤ書 41:10.13



すると、さきほどの不安な思いが「神が支えてくださるのだから、なんとかなる」という思いに置き換わり、私の心の動揺は次第に静まっていくのです。

そのようなパターンを繰り返し、なれてくると、しだいに同じような不安な思いがおそってきた際、その思いが入り込む前に聖書の言葉が瞬間的に心を支配し、


それがバリアーのような役目を果たすことで、ネガティブな思考をはねかえしてしまうようにもなります。



居眠りしている羊(右向き)眠れる羊くん
なんて言うか、この心の働きって、心理学的にも説明がつきそうな感じだね。



眠れる羊くんの言うように、私も上記のような心の働きが、歪んだ思考を建設的な思考に置き換えていく「認知行動療法」の過程に似ていると感じるのですが、


しかし、聖書の言葉はそれ以上のものです。


なぜなら「言霊」と言う言葉があるように、聖書の言葉そのものに、神の霊が吹き込まれていると言われているからです。


「聖書はただの書物ではない。それに反対するすべてのものを征服する力を持つ生き物である」 

ナポレオン・ボナパルト


《 目次:聖書がもたらす8つの変化 》へ戻る



⑥【誰も奪えず、何事にも左右されない不動の「希望」が心の奥に碇を下ろすようになる】


聖書を信じる羊(右向き)   K
個人的には、この変化がもっとも大きな力となっていると感じているよ。




「聖書を人生の土台とする」にあたっては、「その内容を自分のうちに受け入れる」必要があるわけですが、それは誰にでもできることではありません。


多くの人たちは、この書物の真価に気付けずに拒絶してしまうからです。


受け入れることのできる人の数が少ないということは、聖書の中にも示唆されています。

しかし、この聖書の教えを自分のうちにインストールすることができた場合、「未来に対する大きな希望」も、共にインストールされることになります。


なぜなら聖書の中には、未来に対する数々の「希望に満ちた預言」がなされているからです。


”社会の秩序が回復され、悪い者たちが好き勝手できる時代はやがて終わる” という希望があるのとそうでないのとでは、

  • 現在に対する見方
  • 生きるモチベーション
  • 人生に対する虚しさ


などが、まったく変わってくるものです。



時折、私は内側が静かな喜びで満たされ、とても清らかな心情になることがありますが、そのような経験は、それを経験した者にしか理解できないことだと思います。

関連:『【原点へ帰ろう】人生が虚しいことの根っこにある原因は1つだけ』


《 目次:聖書がもたらす8つの変化 》へ戻る



⑦【死に対する恐怖がなくなってしまう(むしろ希望に変わる)】


人が抱いている恐れの中でも「死に対する恐れ」は、もっとも根が深いものであると思います。

聖書を人生の土台とするようになると、この「死に対する恐れ」が「より良い状態へと移行するという希望」に大転換を起こします。


死はひとつの通過点にすぎず、その向こう側には、苦しみの多い地上での生活よりも、さらに良い生活が待っているという思いが、自らのうちに碇を下ろすようになるからです。

そこにおいては、もはや「心身の病」は癒やされ「経済的な苦しみ」や「死別の悲しみ」は消え失せ、


「イジメ」も「いじわる」も存在し得ず「悩み」も「不安」も拭い去られ、”神に従う心根のやさしい人々のみ” が住まうのです。


そのような世界への移行を、どうして恐れる必要などありましょう。


あなたは、このような考えを狂信と受け取るでしょうか?



しかし、人様に迷惑をかけるわけでもありませんし、何より、死を恐れてビクビクしながら戦々恐々と生きるよりは、はるかにマシではありませんか!


死に対する恐怖は、あらゆる哲学のこの上ない試金石である。

死の恐怖に克ち得ない哲学、あるいはせいぜい、人生の無常についての暗い考察に導くにすぎない哲学は、まず実際的にも、勿論たいした価値あるものでなく、いずれにせよ、哲学としての目的を十分に満たすことはできない。


『幸福論(第二部)』ヒルティ著 草間平作 訳 岩波文庫


《 目次:聖書がもたらす8つの変化 》へ戻る



⑧【自分の力だけで生きる必要がなくなる】


一般的に私たちの多くは、”自らの力で人生を生きていく”という「独立独歩」の人物こそが、優れた人間であるというふうに考えていると思います。


逆に「なにかに依存しているような人間はダメな奴だ」とする風潮があります。


ところが、聖書はまったく逆のことを言います。


聖書においては、”自分の力に頼るというのは思い上がったことであり、神に頼って生きる人生こそが、人として本来あるべき姿である” としているのです。


私たちはもともと、神と共に人生を歩み、神に頼って生きる存在として創られたのだと聖書は語ります。


そして、現在の私たちは、そのような本来あるべき状態からはずれてしまっているのだとも語っています。


つまり、聖書を土台として生きていくということは、本来の状態に立ち返ること、


すなわち、”自分の力だけで生きていく人生の終焉” を意味しているのです。


「頼ること」=「甘え」だというマインドが深く刻み込まれているため、人によってはこの考えをシフトすることに抵抗感があるかもしれません。

しかし、ひとたび自分のちっぽけな力で生きるやり方を捨て、神に全託するやり方へ変えてしまうと「これほど楽な生き方はない」ということが分かるようになります。



そのような生き方になれてしまうと、こんどは逆に、世の中の人たちを見た時、


「よく、神に頼らずに生きていけるなあ。強い人たちだなあ」と、なかば感心するというか、ふしぎで仕方なくなるものです。


聖書を信じる羊(右向き)K
ちなみに聖書では「独立独歩」を良しとするどころか、”神から離れて自らの力だけで生きていくこと”を「罪」と呼んで、戒めてすらいるんだよ。




生きることに疲れてしまった人には特に、このような生き方にシフトするよう、私は強くおすすめいたします。


関連:【怖い、助けて】逃げたいほど不安なあなたに提案するただ1つの方法 | 一般的な6つの対処法付き


神を信じえない人たちは、その罰として、すべてを自力でしなければならないか、それとも、人間に頼らねばならぬという点で、大きな不安をいだくのである。

しかもそのどちらも、人生の苦しいときには往々役に立たないのだ

だから、哲学的無神論や懐疑論は、たいへんえらそうには聞こえるけれども、その実、人間生活が本来ありうるものに比べると、極めてみすぼらしい生活しか与えないのである。


『幸福論(第二部)』 ヒルティ著 草間平作 訳 岩波文庫



関連:『「助けて」というあなたの心の叫びに、神様は手を差し伸べる』


《 目次:聖書がもたらす8つの変化 》へ戻る



自分を変えたい人におすすめする「8つの方法」

自分を変えるために走る人。



居眠りしている羊(右向き)眠れる羊くん
まずは、一般的な方法から。
……ムニャムニャ。



自分を変える為の「一般的な方法」【6選】


《 目次:自分を変える一般的な方法 》

  1. 規則正しい生活によって自分を変える!| 特に早起き
  2. 運動(スポーツ)によって自分を変える!| 男性の方は特に筋トレ
  3. 「髪型」「メイク」「ファッション」等で自分を変える!
  4. 交友関係(人間関係)によって自分を変える!
  5. SNSやスマホと距離を置いてみることで自分を変える!
  6. 苦手の克服よりも、得意分野を伸ばすことで自分を変える!



①【規則正しい生活によって自分を変える!| 特に早起き】


基本的なことすぎて「なんだ、そんなことか」と思われるかもしれませんが、やはり基本がだいじなのです。



しかも「性格」を変えるのは容易なことではありませんが、「行動」を変えることは、今すぐにでもできる「即効性」のある方法です。


私は自分の経験から「人は昼間活動して夜は寝る」というのが、いちばん自然にかなった在り方なのだと感じています。

私が引きこもっていた時は、昼夜逆転した生活を送っていましたが、正直「生けるしかばね」あるいは「廃人」とでも表現すべき状態でした。


合わせて「読書」「勉強」など、建設的な習慣をルーティーンとして毎日の生活に取り入れることもおすすめします。


習慣を変えることについては、


『生きていくのが辛い、と感じているあなたが読むべき最高の一冊』でも、
詳しくあつかっておりますので、興味のある方はご覧になってみてください。


聖書を信じる羊(右向き)K
”辛い人生を好転させる、「一般的」+「聖書的」な9つのヒント” の項目で、「習慣」についてあつかっているよ!



《 目次:自分を変える一般的な方法 》へ戻る



②【運動(スポーツ)によって自分を変える!| 男性の方は特に筋トレ】


汗を流すことは心身のリフレッシュになりますし、上達するにつれ、それが自信となって自分を変えるきっかけとなる、ということは容易に想像がつくかと思います。


また、筋肉をつけることは、精神衛生上プラスの効果が大いにあるとも言われていますので、試されてみてはいかがでしょうか?


居眠りしている羊(右向き)K
さらに、運動によって体が適度に疲労することで、夜ぐっすり眠れるってメリットもあるよね♪


聖書を信じる羊(左向き)K
ちなみに、夜、なかなか寝つけないって方は、
以下の記事も参考にしてみてね。



参考:【眠れない夜に!】あなたを内側から助けてくれる魂のサプリ「聖書」

《 目次:自分を変える一般的な方法 》へ戻る



③【「髪型」「メイク」「ファッション」等で自分を変える!】


こちらは飽くまでも、表層的な部分を変えるだけの「小手先のテクニック」にすぎませんが、その点を理解した上でこの方法を用いるならば、


上記のものをガラッと変えることによって、なんらかのきっかけにはなり得ると私は考えています。

とはいえ、これらのものを自分自身と同一視してはいけません。


《 目次:自分を変える一般的な方法 》へ戻る



④【交友関係(人間関係)によって自分を変える!】


「朱に交われば赤くなる」という言葉があるように、人はふだん接する人々から、想像以上に多くの影響を受けているものです。

交友関係は「もろ刃の剣」であるため「肯定的・建設的な人々」や「今の自分を引き上げてくれるような人々」と関わるようにするだけで、

自分自身もその人たちの波長に感化されて、良い影響を無意識のうちに受けることができるのです。


その一方で「自分にとってネガティブな、あるいは破壊的な影響を与える人々」との関係は思い切って断つか、すくなくとも一定の距離を置くということも、セットにして考えなければなりません。


《 目次:自分を変える一般的な方法 》へ戻る



⑤【SNSやスマホと距離を置いてみることで自分を変える!】


これは現代の若い人たちには「苦行」に近いかもしれませんが、いちど試してみれば、どれほどこれらのものに時間と労力を奪われていたかが分かるでしょう。

自分を変えたければ、それらの時間を、もっと建設的なことに投資するべきです。



SNS依存のような形になってしまう理由として「孤独」や「さみしさ」があるかと思います。そのような方は、下の記事も参考になさってみてください。

参考:【助けて、寂しい】孤独で苦しむ人に伝えたい事と、抜け出す方法

《 目次:自分を変える一般的な方法 》へ戻る



⑥【苦手の克服よりも、得意分野を伸ばすことで自分を変える!】


自分を変えようと思った際、たいてい私たちは、自分の苦手なことを克服することに注力しがちです。

しかし、「自分の得意なことを、さらに伸ばす」という部分に力点をおいた方が効果が望めます。


なぜなら、「-」のものを「+」にするには大変な労力がかかりますが、すでに「+」の状態にあるものを、さらに高めていくことの方は、前者よりもはるかに少ない労力で済むからです。


その増強された「+」の面が自信につながり、自分が変わっていく可能性は、大いに見込めます。

《 目次:自分を変える一般的な方法 》へ戻る



自分を変える為の「聖書的な方法」【2選】


聖書を信じる羊(右向き)K
ここからは、聖書的な方法だよ!


⑦【思考を変えることによって自分を変える!】


これは、さきほど「聖書を人生の土台とすることで、具体的に自分がどう変わるのか?」で述べたように、

「否定的・破壊的な思考」を「肯定的・建設的な聖書の言葉」に置き換えるということです。


  ポイントは……、
”根気よく何度もなんども繰り返し置き換える” ことと、
”羊が反芻するように何度も聖書の言葉を心のうちで反芻する” という2点です。



居眠りしている羊(右向き)眠れる羊くん
反芻(はんすう)するのは得意。
モグモグ……。




思考が変わってくると、物事の見方を変えることができるようになっていきます。これこそが、真に自分を変えることだと言えるでしょう。


憂いの原因が、単に将来起こると懸念される悩みではなく、現実に存在する悩みである場合には、おそらく次のような反省が役立つであろう。

すなわち、我々は神によって課せられたものを負わねばならないこと、そして、神の許しなしにはなにごとも起こり得ず、一切の事柄が我々自身さえ知らない我々の真の力に応じて定められているのだという確信を全意志をもって堅持しなければならぬということである。

この二つの考えが、憂いに際してさしあたり、我々の支えである。この支えを捨てるのは、実際、一本の綱につかまって断崖にぶら下がっている者が、その綱を手放すのと同じである。


『幸福論(第二部)』 ヒルティ著 草間平作 訳 岩波文庫



⑧【自分を捨てることによって自分を変える!】


これもさきほど「自分の力だけで生きる必要がなくなる」の項でご紹介したことです。


「自分の力で生きるのをやめる」とは言いかえれば、ある意味「自分を捨てる」ということでもあります。

もちろんこれは、「自分を見捨てる」の意味ではなく「古い自分を手放す」という意味です。


自分を捨て、神に頼って生きはじめる時、私たちは良い意味でほど良く肩の力が抜け、自分の人生を俯瞰でとらえることができるようになります。


それはもう、以前の私たちではありません。


このように聖書の教えは、私たちを深いところから変えてしまう力を有しているのです。



居眠りしている羊(右向き)眠れる羊くん
自分の力に頼る必要がなくなるってことは……
同時に、人に頼る必要もなくなるってことだよねぇ。


関連 »「助けて」が言えない人に知ってほしい、人に頼らない最強の生き方』


自分を変える為の「8つの方法」【まとめ】


居眠りしている羊(右向き)眠れる羊くん
情報を整理、整理。
ムニャムニャ……。


  • 規則正しい生活によって自分を変える!| 特に早起き
  • 運動(スポーツ)によって自分を変える!| 男性の方は特に筋トレ
  • 「髪型」「メイク」「ファッション」等で自分を変える!
  • 交友関係(人間関係)によって自分を変える!
  • SNSやスマホと距離を置いてみることで自分を変える!
  • 苦手の克服よりも、得意分野を伸ばすことで自分を変える!
  • 思考を変えることによって自分を変える!
  • 自分を捨てることによって自分を変える!



いかがだったでしょうか?


自分を変える方法は「他人と比較するのをやめる」「完璧主義をすてる」など、他にも数多くあるでしょう。


ただし、仕事や環境を変えることは、個人的にはほとんど効果がなかったため、ここには含めませんでした。


どれかひとつでも良いので、自分にできそうなことからはじめてみましょう。

ちなみに2つの「聖書的な方法」に関しては、聖書を人生の土台とすることによって、自動的に変わっていくものですので、今、この記事を読んでくださっている時点では、取り入れるのはむずかしいかと思います。


ただ、一朝一夕にはいかない分、強力な方法でもあるのです。


ぜひ、このブログを通して、ひとりでも多くの方が、聖書を人生の土台とすることができることを願ってやみません。


自分を変えたい人におすすめする「聖書の名言」

開かれた聖書に記された、自分を変えるための言葉。


† あなた方の生活を貪欲とは無縁のものとし、持っている物で満足しなさい。彼*がこのように言われたからです。「私は、あなたを決して置き去りにせず、あなたを決して見捨てない」

それゆえ、私たちは大胆にこう言えるのです。「主が私たちの助け手なので、人が私に何をなそうとも恐れません」


ヘブル人への手紙 13:5~6

* 「彼」= 神のことを指す。


まとめ


  • 何を人生の土台としているかで、私たちの人生は様変わりする。この土台は、今からでもじゅうぶん築き直すことが可能。

  • 正しい人生の土台を持っている者は、堅固な岩の上に家を建てる者に等しい。対して、しっかりした土台を持たない者は、砂の上に家を建てる者に等しい。

  • 私たちは、目に見えない世界の影響を受けて生活している。そして「聖書の教え」とは、”霊的な防御力を高め、霊的な力を増すための最強の指南書”でもある。

  • 聖書を土台とすることで、人生観・価値観・耐性等、あなたという人間の根本的な部分が変化しはじめる。

  • 羊が反芻する如く、繰り返し根気よく「破壊的な思考」を「建設的な思考」に置き換えよ!

  • 自分の力だけで生きるのをやめ、遠慮なく存分に神に頼って生きよ!



聖書を信じる羊(右向き)K
長い記事を、最後まで読んでくださり、
ありがとうございました!


居眠りしている羊(左向き)眠れる羊くん
~聖書は信じるに値するか? No.3~
『人生とはスピリチュアルな戦いである。究極的には誰も助けてはくれない』へのリンクは下だよ。


関連記事

眠れる羊くん この記事の内容は、動画でも観れるよ♪ https://youtu.be/ZLROwZwk8O8 K ~ 聖書は信じるに値するか? No.3 ~ こちらの記事では、「私[…]

私たちは皆、究極的には誰の助けも得られないスピリチュアルな戦いの中にいる。



居眠りしている羊(右向き)眠れる羊くん
「土台」がしっかりしてくると、人生を豊かにする「趣味」もより一層、活きてくるよね~♪


参考:『【定年後の趣味に!】暇な時間を使って人生を”豊かに”充実させる道』


自分を変えたくて高みを目指す人
眠れる羊たちの最新情報をcheck!
>

『私は良い羊飼いです。私は自分の羊たちを知っており、私の羊たちにも知られています。――また私には、この囲いに属していない他の羊たちもいます。私は、彼らも連れて来なければなりません。彼らは私の声に耳を傾けるでしょう。こうして一つの群れ、一人の羊飼いとなるでしょう』                 John 10:14.16(K.J.V + Nagai)


『あなたがたは、迷い出た羊のようでしたが、今や、羊飼いであり、あなたがたの魂の監督者である方のもとへと帰ってきたのです』
                1 Peter 2:25(K.J.V)

CTR IMG