
このブログでは…… 、
「宗教とは距離を置きつつ、聖書を人生の土台として生きる」
ことを提案しています。
詳しくは「目的のページ」をご覧ください。
この記事では、
「人に頼らず、神に頼る生き方」についてご紹介しております。
「人に頼らない最強の生き方」と題していますが、これは人に頼ることを否定しているのではありません。
もちろん、職場や日常の中で、何でもかんでも自分で背負い込む必要はなく、頼れる部分は大いに人に頼るべきです。
この記事で言及しているのは、そのような物理的・外面的な事柄に対してのことではなく、心理的・内面的な事柄に対してです。
その上で、まず冒頭であなたへ伝えたいことは、
「助けてと人に言えなくても、まったく問題ない」ということです。
「別に助けてと言えなくても仕方ない」とか「いずれ言えるようになれば良い」とかではなく「まったく問題ない」という点に注意してください。
私たちは人に頼るのではなく、神に頼って生きるようにつくられているからです。
おそらく、あなたは今「うさん臭い」と感じられたことでしょう。
このような肝心なことは学校では教えてくれませんので、無理もないと思います。
ではなぜ、日本人の15~39歳までの死因第1位が、すべて「自殺」なのでしょう?
なぜ「うつ病」や「パニック障害」など、精神的な苦しみを抱えている現代人が、この数十年で急増しているのでしょうか?
もちろん、そこには複合的な要因があるでしょう。しかし、根本的な原因は
「私たちが、”最も大切なこと” を忘れてしまった」ことにあるのです。
私の言っていることを信じる必要など、さらさらありません。
なぜなら、これが真実かどうかを、あなたは自ら確かめてみることができるからです。
もし、今現在「死にたい」との思いを抱えていらっしゃる場合は、
『「死にたい、助けて」と心が叫ぶ時、あなたは重要な鍵を手にしている』
の記事も、参考になさってみてください。
それでは、私たちが地上で手にし得る中でも「最強の生き方」について、見ていきましょう。
「助けて」の一言が言えないのは、あなたが弱いからではない

まず、現代のストレス社会において、あなたが「助けて」と言えない原因や理由は何なのでしょう?
それは、人によって様々ですが、主に、次のようなものが挙げられるかと思います。
【人に「助けて」と言えない理由】
- 「医者の世話になりたくない」あるいは「薬を飲みたくない」
- 「人に相談してもどうせムダ」だと思っている。
- 苦しんでいることを知られたくない。人に弱みを見せたくない。
→ カッコ悪い、はずかしいから。 - 親に心配させたくない(特にいじめの場合)。
- 人に迷惑をかけたくない。
- 人は信用できない。
- 助けを求めると、身に危険がおよぶ可能性がある。
- 誰に助けを求めたらいいのか分からない、そもそも助けを求める人がいない。
これらの理由を見て分かることは、あなたが「助けて」と言えないのは、あなたが弱いからではなく「あなたの自立心が強いため」もしくは「あなたがやさしいから」そして「自己防衛のため」ということです。
これらは「弱さ」ではありません。むしろあなたの「プラスの側面」と言えるものです。
ですから「助けて」と言えない自分を「勇気がない」とか「ダメな奴だ」と考えるのはやめましょう。
それらはあなたの「優れた点」であって、劣等感を感じる必要などまったくないのですから。
「助けて」が言えない人の為の、”人に頼らない最強の生き方”

冒頭で私は「助けてと人に言えなくても、まったく問題ない」と言いました。
なぜ、そう断言できるのかというと、それは、”私自身が身をもって経験した結果” だからです。
私の場合「人に相談してもどうせムダ」という思いを持っていたので、人に相談することはしませんでした。
もちろん、誰かに相談することで道がひらける場合もあるかと思います。ですから、相談することを否定しているのではありません。
ただ 私の場合「神に頼って生きる」という人生にシフトしたことで「出口なんてあるんだろうか?」と思えるような、どん底の暗闇から
結果として実際に抜け出せたという事実があるため、選択肢の1つとしてあなたも試してみるよう、提案しているのです。
この生き方は、誰もが選択できるものではないことを、私は承知しております。
しかし、ひとつだけ言えることは、あなたが神に頼ることを選択できた場合、あなたの闇は終焉するということです。
【助けてが言えない人に伝えたい】宗教とは距離を置くべき
私は宗教をすすめているのではありません。私自身、聖書は信じていますが、宗教は信じていません。
だからといって、キリスト教を否定しているのでもありません。
ただ、「宗教には”人が付け加えたよけいなモノ” が混入しすぎている」と思っているだけです。
そして、宗教をやらずとも「神に頼って生きる」ことは、じゅうぶん可能なのです。
ここで1つ、大切なポイントがあります。それは「神に助けを求めれば、あとは寝ころがって怠惰な生活をしていればいい」ということではないという点です。
神に助けを求めつつ、何らかのアクションを起こすのです。
ちいさなことで構いません。人が聞いたら笑うような、極々ささいなことでもいいから、何らかの行動に出るのです。
神は必ず、そのようなあなたに手を差し伸べ、暗闇から抜け出す「逃げ道」を備えてくれます。
関連:『「助けて」というあなたの心の叫びに、神様は手を差し伸べる』
「助けて」が言えない事は、むしろあなたにとってプラスに働く

「助けて」と言えないあなたは、実は人に頼ることができるような器用な人よりも「長く暗いトンネル」から抜け出すための「出口」に近い、と言えます。
なぜなら大半の人が、人に頼れない、あるいは人の助けなどもはや何の役にも立たないような状態に置かれて初めて、神に頼ることを学ぶからです。
人は本当に追いつめられなければ、なかなか真実に手を伸ばそうとはしないものなのです。
ですから、人に頼れず孤独感にさいなまれていたとしても、下を向く必要はありません。
あなたは、あなたという存在を形づくり、あなたのことをあなた以上に熟知している神に、頼ることができるのです。
「助けて」が言えないあなたに贈る、聖書の名言

† あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
詩篇 37:5
† 「お前たちは、立ち返って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」
イザヤ書 30:15
まとめ
- 「助けて」と人に言えないのは自立心が強く、やさしいから。これらは「弱さ」ではなく、あなたのプラスの側面。
- 「神に頼って生きる」という人生にシフトすると、私たちの闇は終焉する
- 人に頼る必要はない。あなたは、あなたという存在をつくり、あなたのことをあなた以上に熟知している神に、頼ることができるのだから。
いかがだったでしょうか?
このブログでは、聖書を人生の土台として生きるため「聖書という書物が本当に信頼できるものなのか?」ということを探究しています。
「揺るぎない人生の土台を築きたい」と思われた方は、どうぞ、
当ブログの目的が書かれたページから、この探究の旅へと参加してみてください。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。