【しんどい、もう無理】助けを求めるあなたに提案する”究極の逃げ道”

聖書を紹介する、ユーチューブチャンネルの紹介。


このブログでは…… 、

「宗教とは距離を置きつつ、聖書を人生の土台として生きる」
ことを提案しています。

詳しくは「目的のページ」をご覧ください。


  この記事では…… 、

「人生に押しつぶされないよう、人は何らかの逃げ道を持っておくべきであること。中でも聖書の教えは ”究極の逃げ道” であること」

について、お伝えしています。



「聖書」と聞いて、あなたは宗教を連想したかもしれません。しかし、私は宗教をすすめるつもりで、このブログを運営しているのではありません。


”あなたの人生を、根底からくつがえす可能性のある道 ” について発信しているのです。


この記事を読んでくださっているということは、あなたは今、精神的に限界を感じているか、少なくとも、何らかの困難に直面していると思います。


実は、かつての私も長年に渡って、そのような「限界状態」にありました。


私は宗教は好みません。

しかし宗教をやらずとも、聖書を人生の土台として生きることは可能です。


そしてこの生き方は、あなたを束縛するどころか、驚くべき「柔軟性と耐性」をあなたの内面に与えると共に、この生きづらい社会からの「究極の逃げ道」をも、あなたに与えてくれるのです。


からだに必要なもの、全部入り。BASE FOOD

※栄養素等表示基準値に基づき、脂質・飽和脂肪酸・n-6系脂肪酸・炭水化物・ナトリウム・熱量を除いて、すべての栄養素で1日分の基準値の1/3以上を含む。

【しんどい、もう無理、誰か助けて】あなたが暗闇を通過する事には意味がある

「しんどい、もう無理」感じながら、助けを求めてトンネルをさまよう人。



まずはじめに、知っておいていただきたいことは、

”あなたが今、暗闇の中を通過しようとしていることには意味がある” ということ、そして、”絶望から抜け出す道は存在する” ということです。



もしかしたらあなたは「つらい経験なんて苦しいだけで、何の意味もない」と思われているかもしれません。

しかし、そうではありません。



それがどんなものであったにせよ、私たちが経験したことは決して無駄になることはないのです。

ただし1つだけ条件があります。それは「その闇を突き抜けること」です。


途中でその闇に屈し、人生をあきらめてしまった場合、


つまり、命を投げ出してしまった場合、それはただ「あなたに降りかかった理不尽な災難」でしかなくなります。


しかし、最後までその命を守りとおした場合、闇の経験はあなたの血肉、いえ、あなたの魂の一部となり、あなたという人間を大きく成長させるのです。


そういった人格的な拡大というものは、お金では買うことができず「経験」によるしかないのです。


しかも、そのようにして得たものというのは、いつかは朽ちてしまう「豪邸」や「高級車」といった物質的な一過性のものとは違い、

誰も奪えず、朽ちることもない「永遠のあなたの財産」となるものなのです。


ここで1つ注意点があります。



それは、必ずしも「突き抜ける」=「立ちはだかる壁にぶつかっていく」ではないということです。

たとえば「学校や職場でのいじめ」や「家庭内暴力」のように、


”場合によっては逃げたり、一時的に身をひそめる方が正しい選択” であるということもありえます。


ここで言う「突き抜ける」とは「命を投げ出すことなく、光のもとまでたどり着く」ことを意味しているのです。


我らの出会う烈しい苦しみや不幸も、その辛い思いは、人により異なる。それが我らに如何に働くかは、主のみが知り給う。

ミケランジェロ



聖書を信じる羊(右向き)K
暗闇の中を通過するのは、消えてしまいたいほど苦しい経験ですが、一方で、”暗闇の中でしか気付けない光” というものがあります。



日の光が降り注ぐ真昼に、幻想的なホタルの美しい光に気づけないのと同様、暗闇の中でしか見出すことのできない「真実」というものがあるのです。


真夏の夜空を彩る花火は、闇夜の中だからこそ、美しいものだと認識できるのであって、昼日中に打ち上げたところで、それほど価値のあるものだとは気づけないでしょう。


そのように、魂が打ち砕かれ、どん底の中にいる者にしか気づくことができないものが人生にはあるのです。

ところが、残念ながらこれは、 ”教えることのできるもの” ではなく、”指し示すことができるだけ” なのです。そのために私は、このブログを立ち上げました。



何もしなければ、あなたの現状は何も変わらないでしょう。待っていても闇から抜け出すことはできません。

闇を突き抜けるためには、”まず1歩を踏み出すこと” が何よりも重要なのです。



【しんどい、もう無理】助けが必要な状態へと陥る真の理由

「しんどい、もう無理」という人を助け導く希望の光。



助けが必要な理由は、人それぞれですが、主に以下のようなものが挙げられるかと思います。

  • 人間関係による問題(学校、職場、ご近所付き合い、ストーカーなど)
  • 経済的な問題(借金、リストラ、離婚など)
  • 心身の病や事故による障害
  • 仕事上の大きな過失
  • 失恋


では視点を変えて、もう1段高いところから人生をふかんして見た場合、私たちの人生には、どうしてこのような問題やトラブルが付きものなのでしょうか?



あなたは、人生にさまざまな問題がおこる理由について、これまでに考えてみたことがありますか?


「人生なんてそんなもん」と、あなたは思われるかもしれません。でも、それではあまりにも理不尽ではありませんか?


それは、あなたの運が悪いからでも、ましてや、あなたがダメな人間だからでもありません。

それは、あなたが神に頼ることを学ぶためなのです。


考えてみてください。苦しい状況にでも追い込まれなければ、いったい誰が神に頼ろうなどと思うでしょうか?


人は かたくなな生き物ですから、痛い思いをしなければ「神と共に人生を歩む」という、本来のあるべき状態に戻ろうとしないのです。



もちろん、神に立ち返ったあとも、人生から問題がなくなってしまうわけではありません。


私たちは「神に頼る」ことを、学び続ける必要があるからです。


私は神に力を願い求めた
そうすれば偉大なことを
成し遂げられると思った
でも私には弱さが与えられた
謙虚に従うことを学ぶために


私は健康を求めた
人よりも勝ったものになるために
でも私は病に倒れた
人への憐れみを学ぶために

私は富を求めた
幸せになれるように
でもその代わりに
貧しさが与えられた
智慧を学ぶために


私は権力を求めた
人々の賞賛が欲しかったから
しかし、私には弱さが与えられた
神に頼ることを学ぶために

楽しく人生を生きるため
私はたくさんのものを
手に入れたかった
しかし、価値ある人生を生きるため
生きる目的を与えられた


求めたものは
何一つ与えられなかったが
私が望んでいたものは
すべて与えられた
言葉にならない心の祈りが
すべてかなえられたから


今、わかる!
私はこの地上の誰よりも
豊かな祝福を受けているのだと



詠み人知らずの詩



聖書は「しんどい、もう無理」と追い詰められた人を助ける”究極の逃げ道”

しんどい人を助け、「もう無理」と感じている人に力を与える聖書。


人生とは基本的にきびしいものです。


もちろん、強い人たちもいるでしょう。
しかし、私たちの多くは何らかの弱さを抱えているものです。

ですから私たちは、人生に押しつぶされてしまわないよう、何らかの「逃げ道」を持っておくべきです。



「負のエネルギーの発散の場」などと言い換えても良いかもしれません。


多くの人たちは…… 、

  • 趣味
  • お酒
  • スポーツ
  • ギャンブル
  • 仲間たちとの集い



などによって、日ごろ溜め込んだストレスを発散しています。

しかし、その一方で「何の趣味もない」「打ち込めるものが何もない」という方も多いのではないかと思います



そして、そのようなマイナスのエネルギーの「はけ口」を持っていない場合、生きることに対して「しんどい、もう無理」という感情を抱くほどまでに傷つき、ポロボロの状態へと陥ってしまいやすいものです。

想像してみてください。定期的な清掃もなされないまま、よどんだ水を溜め込み、放置された学校のプールを。


コケだらけの、どぶ川のような水をたたえた、校庭の片隅にあるプールの姿を、あなたは見たことがありませんか?


同じように、エネルギーの循環が滞れば、人の心は健全さを次第に失っていき「毎日がしんどい」「心が折れそう」「もう無理、これ以上は生きていけない」という状態に陥ってしまうのです。



聖書を信じる羊(右向き)K
ところが「夢中になれる趣味」や「心から打ち込めるもの」のようなものは、見つけようと思っても、なかなか見つかるものではありません。



そこで私が提案しているのが、”聖書を人生の土台として生きること” なのです。



そうすることで、実際に自分自身がどのように変化するかは『本気で自分を変えたいならば、人生の土台から変える必要がある』で詳しく扱っているので、ここでは割愛しますが、

私は自分自身の経験から、この道が「人生の苦しみ」や「世の中のドロドロとした汚い部分」からの ”これ以上ない究極の逃げ道” であると断言できます。


ただこの道は「誰に対しても開かれている」反面、「誰もが受け入れることができる道ではない」という側面を持っています。

非常に残念なことですが、大半の方が この道を拒絶してしまうのです。


ですから、もし、この生き方に少しでも心が惹かれた方は、「聖書という書物が、本当に信じるに値するものなのか?」ということを、



私の言葉を鵜呑みにするのでも 盲信するのでもなく、このブログ等を通じて、ご自身で確かめてみてください。

参考:『聖書は他の書物と何が違う? その10の特徴と特異性』



聖書は「しんどい、もう無理」と嘆くあなたを助けてくれるだけではない

「しんどい、もう無理」と嘆く人を助ける盾。


聖書を人生の土台として生きていると、自分のうちに「逃げ道」あるいは「避難場所」を持つことができるだけでなく、”建設的な価値観をも養ってくれる” という「おまけ」も付いてきます。


つまり、”荒れ狂う海原のような世間” から一時的に避難する場所を持つことができるだけでなく、


待避所から出て、世の中という戦場に出ていかなければならない時にも、周囲から放たれる「破壊的・否定的な価値観」をはねのけることができるようになっていくのです。


平たく言えば「シェルター」と「大盾」の両方を手に入れるようなものです。



このような強力な「付加価値」をも手に入れるのは、さきほど列挙した一般的な「逃げ道」では、難しいのではないかと思います。

このような付加価値があることから、この逃げ道は「HSP」等、感受性の豊かな人には特におすすめであると言えます。


≫ 運命によるサンドバッグ状態から抜け出し、人生を立て直すための ”聖書的防衛マニュアル”『ピスティスの力』



【しんどい、もう無理】助けが必要なあなたへの具体的な「対処法」

「しんどい、もう無理」とつぶやいて助けを求める人。


まず知っておいていただきたいことは、”同じ苦しみを抱えている仲間は他にもいる” ということです。


「同じことで苦しんでいる人は、自分だけじゃない」という思いは、一種の「連帯感」にも似た心強さを人の心にもたらすものなので、基本的な考えとして、持っておくと良いと思います。


つらい時には、この国のどこかで、まさに今この瞬間にも、あなたと同じ悩みで苦しんでいる仲間がいることを、どうか思い出してください。


あなたはひとりで苦しんでいるように思えるかもしれませんが、
実はひとりではないのです。


その上で、具体的な対処法を取り入れるようにしてみてください。



助けが必要な際の「一般的」+「聖書的」な5つの対処法については、


『「助けて」というあなたの心の叫びに、神様は手を差し伸べる』にて、すでに一度 取り上げた内容となりますので、そちらを参考になさってみてください。



聖書を信じる羊(右向き)K
以下の関連記事も、参考にしてみてね


関連 :『人生にもう疲れたと感じているあなたには、受け取る準備ができている』

関連 :『生きていくのが辛い、と感じているあなたが読むべき最高の一冊』



【しんどい、もう無理】助けを求めるあなたへ贈る「聖書の名言」

「しんどい、もう無理」と感じている人を助ける聖書の言葉。


† 私はあなたたちの年老いる日まで、
白髪になるまで、支えて行こう。
私はあなたたちを造った。
私が担い、支え、救い出す。

イザヤ書 46:4(旧約聖書)


† 疲れた者、重荷を負う者は、誰でも私のもとに来なさい。
休ませてあげよう。

マタイによる福音書 11:28(新約聖書)



まとめ

  • 闇の中を突き抜ける経験は、あなたという人間を大きく成長させる。

  • 暗闇の中でしか気付けない光がある。だからこそ闇の経験はムダであるどころか、神の祝福ともなり得る。

  • 人生に様々な問題が生じるのは、あなたが神に頼ることを学ぶため。

  • 世には様々な「逃げ道」があるが、聖書以上に優れた「逃げ道」は存在しない。

  • 聖書を土台とするということは、「シェルター」と「大盾」を手にするようなもの。



いかがだったでしょうか?

今回ご紹介したように、聖書とは、人生に限界を感じている人にとっての、”究極の逃げ道” です


人生に押しつぶされてしまうくらいなら、この書物が信頼に値するかどうか、ダメモトで確かめてみるべきです。



しかし、何度も言いますが、盲目的に信じてはいけません。自分自身で確かめる必要があります。

このブログは、聖書が信じるに足る書物かどうかを探究するための
一種の「旅」のようなものです。


ご自身の人生において「”究極の逃げ道”を備えておきたい」と思われた方は、私たちと共に、この ちょっと風変わりな旅へと出かけましょう。


探究の旅へは、このブログの目的のページから出発することができます。


長い記事を最後までお読みくださり、ありがとうございました。

「しんどい、もう無理」と助けを求める人に開かれた逃げ道
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『私は良い羊飼いです。私は自分の羊たちを知っており、私の羊たちにも知られています。――また私には、この囲いに属していない他の羊たちもいます。私は、彼らも連れて来なければなりません。彼らは私の声に耳を傾けるでしょう。こうして一つの群れ、一人の羊飼いとなるでしょう』                 John 10:14.16(K.J.V + Nagai)


『あなたがたは、迷い出た羊のようでしたが、今や、羊飼いであり、あなたがたの魂の監督者である方のもとへと帰ってきたのです』
                1 Peter 2:25(K.J.V)

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