

~ 聖書は信じるに値するか? No.14 ~
「福音書に書かれた内容は、信じるに足るものなのか?」
ということについて、お伝えしています。
今回は、以前にもご紹介した「ナザレのイエスは神の子か?」からの情報をもとに、聖書という書物の「信憑性」について見てみたいと思います。
本当は、上記の本を読んでみるのが1番良いのですが、残念ながら絶版(2021年3月現在)のため、この記事にて、興味深いポイントをかいつまんでご紹介してみたいと思います。

【神の言葉の平原】 ― kami no kotoba no heigen ―
日は高くなり、草花たちも、そのキラキラとした装いを脱ぎ捨て、気持ちよさそうに風に揺れています。
今、私たちの目の前には、森の中とは対象的に、さえぎる物のない、どこまでも続くかのような美しい平原が広がっています。
さあ、神の言葉に近づき、より一層深く理解するために、この暖かな平原を進んでいきましょう。



※栄養素等表示基準値に基づき、脂質・飽和脂肪酸・n-6系脂肪酸・炭水化物・ナトリウム・熱量を除いて、すべての栄養素で1日分の基準値の1/3以上を含む。
聖書に書かれていることって、信頼できるの?

新約聖書に収録された「4つの福音書」は、すべて目撃証言に基づいて記されています。
「ナザレのイエスは神の子か?」でも指摘されていますが、目撃証言は、私たちの暮らす現代においても、大きな力を持っているものです。
公正かつ、信頼できる目撃証言があれば、被疑者を刑務所へ送ることだってあります。そればかりか、一人の人間を死刑にすることだってありうることを想像してみてください。
このように「目撃証言」とは、決して軽視することのできない、重要な情報なのです。

【聖書の信頼性】預言の成就は、イェシュアの意図的な配慮なのでは?
- 自分が生まれる時期。
- 生まれる町。
- どの家系や支族から生まれるか。*
などは自分の意志で、どうこうできる問題ではありません。
メシアは、12支族の中の「ユダ族」から出ると預言されていた。イェシュアの父「ヨセフ」も、母「マリア」も、この「ユダ族」の家系であった。
また「メシア預言の森」で見てきたように、
- 自身が銀30枚で売られ、銀貨が最終的に「陶器師」の手へと渡ること。
- 着ていた衣服を敵対者たちが取り合って、くじ引きがなされること。
- 骨を折られないこと。*
など、預言の大部分は、自分の意志で意図的に成就できる類のものではありません。
「十字架刑」においては、受刑者の死を早めるために、たびたび受刑者の足の骨を折るという行為がなされた。イェシュアと2人の囚人が磔(はりつけ)にされた時にも同様のことがなされたが、その際、すでにイェシュアの息が絶えていたため、彼の骨だけは折られることがなかった。

参考:『十字架刑とイェシュアの死因について | 彼は、本当に死んだのか?』
【聖書の信頼性】ヘロデによる虐殺=話を劇的にするための創作では?
このような虐殺は果たして史実なのか? ちなみにこの虐殺については「福音書」以外に何の記録も残されておらず、考古学的には、しっかりとした裏付けがなされていない。
この話は、メシアの誕生を劇的なものとして演出するために創作されたエピソードに過ぎないのではないのか?
そうでなければ、このような残虐な虐殺に関する記録が何も残されていないなどということは、ありえないのではないか?
B.C37年~B.C4年まで、ローマに公認されるという形でユダヤの地を統治していた王。イェシュアが誕生した当時は、彼が在位していた。ヘロデ自身はユダヤ人ではなく、エドム人だと言われている。
占星術師たちから、メシアが誕生したことについて聞かされたヘロデ大王は、後々ジャマな存在となるであろうことを危惧し、その芽を摘むため、その居所を掴もうとするが失敗に終わる。メシアとされた男児が特定できなかったことから、彼は、可能性のある幼児を皆殺しにさせた。
- そもそも、ベツレヘムという町は人口500~600人ほどの、ナザレ*と同じくらい小さな町であったということ。
- 上記の理由から、2歳以下の男児の数は何百、何千といった人数ではなく、ごくわずかの人数であったはずであること。
- 彼の人間性を思えば**、ベツレヘムという小さな町で何人かの赤子が殺されたとしても、当時の人々の注目を集めるような事件とはならなかったであろうこと。


当時と現代では、2000年近くのへだたりがあり、「社会的な常識」も「人々の感覚」も、今とはだいぶ違っているはずです。
数千年の時を経た私たちの目には「メシアの誕生物語をドラマチックにするための創作なのでは?」と映りますが、
当時の人からすれば「ああ、ヘロデが、また血なまぐさいことをやってやがる……」ぐらいの感覚だったのかもしれません。
このように、福音書に記された ”ヘロデによる幼児虐殺” は、取り立てて言うほど 「違和感のあるエピソード」でも「非現実的な与太話」でもないというわけです。
哲学博士。エルサレムのヘブル大学、フランス聖書考古学学院、バンダービルト大学神学部、シカゴ大学(1967年に博士号を取得)に学び、15年以上に渡り、ウィートン・カレッジで新約聖書と考古学を教えている。「カイザリヤ」や「セッフォリス」「ヘロディウム」や「イスラエル全域」の発掘作業の監督なども務める。
【聖書の信頼性】住民登録の話など、都合の良い創作話ではないのか?
結果的に、この住民登録がなされたことによって「ベツレヘムからメシアが誕生する」という旧約の預言のひとつが成就することになったわけだが、
このような手間のかかる形での住民登録などということが、ほんとうに実施されたのか?
「メシア預言」が成就したかのように信じ込ませるために、でっち上げた話ではないのか?
「エジプトの総督ガイウス・ウィビウス・マクシムス(が言う)。住民登録の時期を迎えたことを鑑み、出生地以外の地域に住む者はすべて出生地に帰り、住民登録をすませるとともに、割り当てられた耕地を勤勉に耕すこと」
「ナザレのイエスは神の子か?」
リー・ストロベル著 いのちのことば社


【聖書の信頼性】福音書自体、かなり後代に書かれた物なのでは?

米国における、4福音書の権威のひとり。哲学博士。スコットランドのアバディーン大学卒業後、新約聖書研究の博士号を取得。英国ケンブリッジ大学のティンデル校にて主任研究員、デンバー神学校の教授などの経歴を持つ。
しかし、「福音書は、もっと後の時代に書かれたものであり、話が伝説化されている可能性がある」と主張する研究者たちもいる。
イェシュアの死後、福音書が早い段階で記されたことを示す確かな証拠はあるのか?
- 「マルコ」 …… A.D70年代
- 「マタイ」&「ルカ」…… A.D80年代
- 「ヨハネ」 …… A.D90年代
に書かれたということで意見が一致しており、非常にリベラルな一派*でも、この意見に同意していると言います。
そして、これらの年代というのは、生前のイェシュアの言動を、実際に見聞きした者たちがまだ生きている時代であり、
もし、誤った情報が流布されていたとしたら、その偽りを指摘してまわるような「敵意を持った人々」も生きている時代だとしています。
科学的なとらえ方を重視し、「神による天地および生命の創造」や「ノアの洪水」などを、伝説や寓話の類として考えているクリスチャンたちのこと。聖書についての「伝統的な理解」や「無謬性(誤りが無いこと)」を否定する立場を取る。「自由主義神学」とも呼ばれる。
参考:Wikipedia


アレクサンドロス大王の伝記で、最古のものとされている2冊の著者は、
- アリアノス
- プルタルコス
の2人ですが、両者の書いた書物は大王の死後(B.C323年)、400年以上たってから書かれたものだと言うのです。
しかも、アレクサンドロスに関する伝説は、この2冊の著作が記されたのちに生じたものだとして、歴史家の間でこれらの書は、その信憑性が高く評価されているとしています。
これは、大王の死後、400年以上もの間、その歴史が正しく伝えられたことを示すものです。
このアレクサンドロスの例に比べれば、福音書が書かれるまでの「数十年」という時間の経過は、問題にはならないと博士は断言しています。

〈 「使徒行伝*」は、中途半端な形で突然、話が終わっている 〉
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〈 この書の中心人物であるパウロが死刑になったことがその原因だと考えられる 〉
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〈 だとすれば「使徒行伝」がパウロの死んだA.D62年以降に書かれた可能性がなくなる 〉
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〈 この「使徒行伝」は「ルカによる福音書」の続編という構成になっていることから、第1部に当たる「ルカの福音書」は「使徒行伝」よりも前に書かれたと考えられる 〉
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〈 「ルカ」および「マタイによる福音書」は「マルコによる福音書」を下敷きにして書かれたと考えられていることから「マルコの福音書」はそれよりも前に書かれたということになる 〉
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〈 イェシュアの死んだ年をA.D30年、または33年とした場合、福音書が書かれるまでの時間のギャップは、最大でも30年そこそこという可能性がある(パウロの死んだ年代がA.D62年のため)〉
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「特にアレクサンドロス大王の例と比べると、歴史的には、もうニュース速報並みの速さですよ」と博士。

当初、クリスチャンたちを迫害していたが、霊的な体験を機に、自分自身が敬虔なクリスチャンとなってしまった人物。ユダヤ人以外の私たち「異邦人」に、イェシュアについての話が広まったことは、彼による働きが大きい。「使徒行伝(使徒言行録)」の後半は、このパウロの経験を中心に記録されている。
まとめ
- 福音書とは「目撃証言」に基づいて記された「記録の書」であり、現代においても目撃証言は、被疑者を極刑にしてしまうほどの力を持った、極めて重要視される情報である。
- メシア預言には、個人の力が及ばないものが数多くあるため、決して意図的に成就できるような代物ではない。
- ヘロデによる「幼児虐殺」は、私たちが想像するよりも実際は規模の小さいものであり、彼自身の性格を鑑みれば、ありえない非現実的な話とは言えない。
- メシアの生誕地に関する預言成就の契機ともなった「大規模な住民登録」は、”帳尻合わせの創作話”だと思われがちだが、A.D104年に出された公文書が発見されており、考古学的に見ても何ら不思議なことではない。
- 「使徒行伝」の不自然な終わり方を、パウロの死によるものだと考えた場合、イェシュアの死~福音書が書かれるまで、最大でも30年ちょっとの計算になる。これは、アレキサンダー大王の場合と比較すると、ニュース速報並みの速さだと言える。

離れた位置で外側からながめていると、”創作された、うさん臭い宗教本” のように見える「聖書」ですが、
近づいて詳しく見てみると、”考古学的にも裏付けのある、筋の通った信憑性のある書物” であることが、多少でも伝わったならば幸いです。
ちなみに、記事の中でご紹介したジョン・マックレー博士は、
「これまでの博士の研究の中で、新約聖書の記述と明らかに矛盾する考古学的発見があったかどうか」
という著者ストロベル氏の問いに対し、以下のように答えています。
「聖書と明らかに矛盾する考古学的発見は、何もありません。それどころか、今までお話してきたように、これまで聖書を信じない研究者たちが長年”事実”としてきた多くの主張が、考古学的により覆されてきているのです」
「ナザレのイエスは神の子か?」
リー・ストロベル著 いのちのことば社
実は、もうすこし、博士たちの意見をうかがいたかったのですが、記事が長くなりすぎてしまうので、今回はここまでにしましょう。
次回は、別の博士たちの意見にも耳を傾けてみたいと思います。記事を最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

『「聖書なんて作り話でしょ?」って思った時に読んでみる記事』(続【考察】聖書の記述は信頼に値する? ペテン師のでっち上げ!?)へは以下のリンクだよ。
眠れる羊くん この記事の内容は、You Tubeでも観れるよ♪ https://youtu.be/XyrpbUS10z4 K 【真理探究の旅】~ 聖書は信じるに値するか? No.15 ~ […]
