

~ 聖書は信じるに値するか? No.11~
「旧約聖書の中に散りばめられた様々なメシア預言」
について、ご紹介しています。
みなさんは「メタファー」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか?
実は、旧約聖書に登場する「メシア預言」の中には、この「メタファー」を用いて示されたものが、いくつかあります。
あるものを、別のものにたとえる語法で、「〇〇のように」等の言葉を用いずにたとえる修辞法の1つ。
ex)グラスが汗をかいている。
今回は、この「メタファー」によるメシア(救世主)の手掛かりや、
”創世記5章に連なった人物名が「メシア預言」になっている!?”、といった興味深い説などの預言を見ていきたいと思います。
気付けば森の姿は一変し、”瑞牆山(みずがきさん)の桃太郎岩” のような大岩がゴロゴロとした、厳かな表情を見せはじめました。
鳥たちのさえずりは静まり、ピンと張り詰めたような冷たい空気が漂っています。
ごらんください、あの数十メートルの高さはあろうかと思われる、苔むした一枚岩を。さぞや、この場所からは、質の良い石が切り出せることでしょう。
さあ、足元に注意しながら、この手つかずの「石切場」を進んでいきましょう。



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救世主の手掛かり | 旧約聖書に度々登場する「謎の石」の正体とは?



【旧約聖書の預言】退けられた救世主が、神の家の礎石となる
† 家を建てあげる者たちの拒絶した石が、
角の要石(かなめいし)となる。
これは、主がなさったこと。
私たちの目には、不思議なことである。
詩篇 118:22~23(King James Version)
この詩篇にある言葉は、イスラエルの民に対して語られたものですから、
”家を建てあげる者たち” = ”イスラエルという国家を建てあげる者たち”、つまりは、”ユダヤにおける指導者たち” のことを指していると解釈できます。
具体的には、
- パリサイ派(律法遵守に厳格な、ユダヤ教の一派)
- サドカイ派(霊魂の不滅や天使の存在を否定する 唯物的なユダヤ教一派)
- 律法学者(モーセ律法の専門家。その多くはパリサイ派に属す)
- 長老(部族内の年長者や、各町村の有力者などの人たち)
といった、主に「ユダヤ教」の指導者たちのことだと解釈されています。
上記の聖句では、この ”家を建てあげる役目を担っていた者たち” によって退けられた石が、実は「その家の要石」になるのだ、と預言されているわけです。
そして、そのことは「私たち人間の目からすると、とても不思議なことのように見える」というのです。
レンガ・石などで組み立てたアーチの中央、最上部に差し入れ、他の石を固定する役割を果たす楔形(くさびがた)の石のこと。
参照:広辞苑第六版
ヘブライ語で「ロシュ・ピナー」= 「角の頭」。King James Versionでは、「the head [stone] of the corner.」となっており、「head stone」には「要石」の他に「礎石」の意味がある。
つまり、この「退けられた石」は、”他の石を固定するキーストーン” であると共に、”建物の基礎部分の中でも特に重要な、隅に据えられた礎石” でもある、ということです。
もう、お分かりかと思いますが、この「拒絶された石」とは「メシア(救世主)」を象徴しているのです。

【旧約聖書の預言】石によって砕かれる「像」と全地への広がり
† 鉄も陶土も、青銅も銀も金も共に砕け、夏の打穀場のもみ殻のようになり、風に吹き払われ、跡形もなくなりました。
その像を打った石は大きな山となり、全地に広がったのです。 これが王様の御覧になった夢です。さて、その解釈をいたしましょう。
ダニエル書 2:35~36(旧約聖書 新共同訳)
上記の聖句では、「石」= 「メシア(救世主)」が像を打ち砕き、大きな山となって全地に広がることが預言されています。
しかし、この聖句を理解するには、上記が、どのような文脈で語られたものなのか、すこし、説明が必要かと思います。

【異国の王に啓示された救世主】旧約聖書が記す「巨像の夢」とは?
ダニエルという預言者については、『メシア誕生の時期を預言する、ダニエル書70週の預言』にて1度 触れたので、ここでは割愛しますが、先ほどの聖句は、このダニエルがバビロン王に対して語ったものです。
ある夜、バビロンの王、ネブカドネザルは「不可思議な夢」を見ます。何度か同じ夢を見て不安に思った王は、
- 占い師
- 祈祷師
- まじない師
- 賢者
などを呼び出して、その夢解きを命じますが、誰も解き明かすことはできません。
そこで白羽の矢が立ったのが、当時、バビロンに捕囚されていた「ダニエル」でした。王が見た夢とは、以下のようなものです。
夢の中に、異常に輝いた1つの巨大な像が現れます。王の前に立つ像は、見る者に恐怖心を抱かせるようなものでした。
その像は…… 、
・頭 = 純金
・胸と腕 = 銀
・腹と腿(もも) = 青銅
・すね = 鉄
・足 = 一部は鉄、一部は陶土
でできていました。
すると、1つの「石」が人手によらず切り出され、”鉄と陶土でできた足” を打ち砕きます。と同時に、像の他の部分も共に砕け…… 、
と、先ほどの預言へとつながる訳です。

【旧約聖書は告げる】やがて成立する世界政府を救世主が瓦解させる
「巨大な像の夢」を詳しく解説しだすと、今回の主題から逸れてしまいますし、また、「終末預言」の知識も必要になってきますので、また別の機会にゆずりますが、
ここでは取りあえず、”鉄と陶土でできた足” = ”やがて世界の終わりに登場する世界統一政府” のことだと、頭の片隅にでも入れておいてください。

先の預言に登場する「その像を打った石」とは、もちろん、メシア(救世主)のことです。
つまり、先の預言によれば…… 、
メシア(救世主)が将来、”バビロニア帝国の現代版” として成立する「世界統一政府」を打ち砕き、その大いなる権威が全地に広がるようになる、というのです。
現在、キリスト教は「世界最大の宗教」となっており、全世界の3人に1人が、メシアを信じる者たち(=クリスチャン)と言われています。
現時点でも、十分「全地に広がっている」と言っても差し支えないように思われますが、終末の「大転換期」の後は、文字通り、神の民が全地に広がり、
”本来、神が意図していた世界の秩序” が、ようやく取り戻されるのです。
救世主の手掛かり | 旧約聖書が示す、恥と嘲りにまみれたメシアの姿

† 私の非難を、恥を、不名誉を、あなたはご存知です。私の敵対者たちは、皆、あなたの御前におります。
嘲(あざけ)りは私の心を打ち砕き、私は重苦しさで満ちています。
哀れみを得ようと待ちましたが得られず、慰めてくれる者たちも見いだせませんでした。
彼らは食べ物として私に毒*を与え、渇く私に酢を飲ませました。
詩篇 69:19~21(King James Version)
ヘブライ語の原文では、rosh という発音の「苦くて毒のあるハーブ」や「苦味」を意味する単語が使われている。
預言の中には、”ある人物の心情や経験を述べると同時に、メシアに関する預言にもなっている” という「2重写し」のようなタイプのものもあります。
上記は、イスラエルの最盛期を築いた「ダビデ王」の書いた詩ですが、同時にメシア預言にもなっている、と言われている箇所です。
これは、メシア(救世主)が迫害され、人々から非難や嘲りを受けることの預言ですが、
特に最後の21節は、イェシュアが十字架上で、ローマ兵から神経を麻痺させ、感覚を鈍らせる「苦味の混ざった酸いぶどう酒**」を飲まされそうになったこと(マタイによる福音書 27:34)、
その後、残された力を振り絞ってイェシュアが叫んだ際、そばにいた者のひとりが「酸いぶどう酒」を含ませた海綿をもって彼に飲ませようとした場面(マタイ27:48)を彷彿とさせます。
スポンジのような骨格をした水生動物で、実際に現代でも、スポンジとして利用されている。

「没薬」とは「ミルラ」とも呼ばれ、古くから使用されてきた、香料の名を指します。
鎮静・鎮痛効果だけでなく、防腐効果もあることから、ミイラを作る際に用いられていたことでも有名です。余談ですが「ミイラ」の名は、この「ミルラ」という香料の名が語源だとも言われています。
「ミルラ」という言葉は、ヘブライ語、あるいはアラビア語の「苦味」を意味する言葉から来ているとされ、中国語による没薬の、没という文字も、同じく「苦味」を意味しています。実際、没薬(ミルラ)には、強い苦味があるそうです。
マルコによる福音書 15:23では、この「没薬(ミルラ)」を混ぜたぶどう酒を、イェシュアに飲ませようとしたことが記録されています。
このように、ダビデが詠んだ「詩篇69篇」には、救世主として人々から迎え入れられるはずの「メシア」が、恥や嘲りを受け、苦味のあるものと、酸い飲み物が与えられることが預言されているのです。
救世主の手掛かり | 旧約聖書は語る、あなたはその名を知っている!?

† 誰が天に上り、また降りて来ただろうか。
誰が風をたなごころに集めただろうか。
だれが水を衣のうちに包んだだろうか。
だれが地のすべての限界を堅く定めただろうか。
その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。
箴言 30:4(旧約聖書/新共同訳)
【旧約聖書が示す救世主】天地創造は、神と〇〇の共同作業!?
メシア預言は、旧約聖書の1番はじめに収められた「創世記」から、最後の「マラキ書」にいたるまで、様々な箇所に散りばめられています。
そして「どの国民から出現するか」「どの部族から出るか」「どの家系から出るか」「いつごろ誕生するか」等々、
徐々に詳しい情報が、ランダムに開示されていく、という形になっています。
同じように、旧約聖書によれば、天地は神によって創られたものだとしていますが、新約の時代* に入ると、
この神による「天地創造」は、御子(みこ = メシア・救世主を指す呼び名)を通して成されたということが、新たに開示されました。
しかし、想像してみてください。親が子どもの手を取って、一緒に料理をしている姿を。
親は、料理の楽しさを子どもと共有するために、子どもの手を通して、料理を仕上げていくのです。
同様に、神が御子の手を通してこの天地を想像したのは、創造の喜びを我が子と共有するためでした。
ただ、これが「霊的な領域」に関わる事柄であることと、その規模が私たちのキャパシティーを遥かに超えたものであるため、私たちの理解が及ばないのです。
そのことは、旧約聖書の中でも以下のように語られています。
† 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた、人の心に永遠を与えられた。
しかし人は、神が行われる御業を、
始めから終わりまで見きわめることができない。
コヘレトの言葉 3:11(旧約聖書/新改訳)
私たちは、すべてを知り尽くしている訳ではありません。
「数世紀前の常識」が「現代の常識」とは大きく異なるように、今の私たちには理解できないような事柄が無数にあるはずです。
■「旧約」= 「古い契約」
これは、律法(神の教え)を守れば祝福されるが、破れば呪われるという、「イスラエルの民」と「神」との間で結ばれた契約のこと。
■ 対して「新約」= 「新しい契約」
これは「神が遣わしたメシアを受け入れる者たち」と「神」との間で結ばれた、”イェシュアの犠牲の血” による新しい契約のこと。
つまり「新約の時代」とは、”イェシュアの十字架刑後の、新しい契約の時代” を意味する。

- ヨハネによる福音書 1:3
- コロサイの信徒への手紙 1:15~17
- ヘブル人への手紙 1:2~3
【旧約聖書が示す救世主】待ち続けるユダヤ人と確信するクリスチャン
以上のことから、先ほどの聖句で言われている「その子」とはメシア(救世主)を指していることが分かります。
旧約聖書とは元々、イスラエルの民に与えられた「神の言葉」です。また、神の言葉は、全時代のイスラエルの民に向けて語られたものでもあります。
そのイスラエルに対し、神はここで「その子の名を、あなたは確かに知っている」と言われていますが、現在、ユダヤ人たちは、メシアがまだ来ていないと信じている状態なのです。
にも関わらず、その名前を知っているはずだということは、メシアが ”現代、もしくは過去にいた人物” であり、且つ、”多くの者たちにその名が知れ渡っている” ことを暗示しています。
このことからも、私たちはイェシュアがメシア(救世主)であったことを確信するのです。
- 翻訳の相違に関する補足
この章の冒頭で「相反する翻訳がなされている」と注意喚起しましたが、訳本によっては「あなたはたしかに知っている」の部分が「あなたは知っているのか?」と、疑問形になっており、従ってメシア預言ではなくなります。K
これは日本語訳だけでなく、英語訳においても同様の相違が見られます。ちなみに原文に忠実な訳として信頼されている「King James Version」では、後者の訳が採用されています。
ですので、この「メシア預言」に関しては、”飽くまでも1つの説に過ぎない” というふうに考えていただければと思います。
救世主の手掛かり | 旧約聖書に見る、メシア復活の予告

† あなたは、私の魂をハデス*に置き去りにはせず、
あなたの聖なる者が(地獄の)穴を見ることを、
お許しにはならないからです。
詩篇 16:10(King James Version)
こちらの聖句も、先ほど「旧約聖書が指し示す、恥とあざけりにまみれたメシアの姿」の章で取り上げたものと同様、
ダビデの心情を綴った詩であると同時に、メシア預言にもなっている「2重写し」の聖句であると解釈できます。

死後の世界にある、1つの領域を指す。聖書では、死後の世界がいくつかの領域、あるいは階層に分かれていることが読み取れる。旧契約の時代(イェシュアの十字架以前)、人はその死後、神を信じる者もそうでない者も、共にこのハデスに下ることになっていた。
「ハデス」は、いわゆる「地獄(ゲヘナ)」とは別の場所であるという事。ちなみに「ハデス」はギリシャ語であり、ヘブライ語(ヘブル語)では「シェオル」と言う。邦訳では「陰府・黄泉(よみ)」などと訳される。

旧約聖書の原本は「ヘブル語 + アラム語」
新約聖書の原本は「ギリシャ語」
で書かれていたんだよ。
まず、上記の聖句に登場する「あなた」とは「神」のことであり、「私」とは「ダビデ」のことであると同時に「メシア」でもあると、解釈できます。
また「あなたの聖なる者」とは、神が遣わす「メシア(救世主)」だと解釈できます。
聖句の中で「穴」と訳した単語は、ヘブライ語の原文では、shachath という発音の「腐敗、破壊、穴、墓」などを意味する単語が使われている。この単語は、旧約聖書において ”獅子を捕らえるための落とし穴” や ”地獄の穴” 等の意味で使われている。
この聖句から、”メシアの魂が、ハデスには置き去りにされないこと” + ”地獄の穴を見ることはないこと”、つまり、メシア(救世主)が死から復活することが読み取れるわけです。
救世主の手掛かり | 旧約聖書の系図には「隠された意味」がある!?

旧約聖書の創世記5章には「アダム」~「ノアの息子たち」までの血統が記されています。

この系図では、13人の名前が登場しますが、ルークさんの動画内で紹介されていた説によると、はじめの「アダム」と、最後の「ノアの息子たち」を除いた人々の名前の意味が以下になるそうです。
【名前】 | 【意味】 |
セト(セツ) | 備え |
エノシュ | 弱い、致命的、脆い、悲惨 |
ケナン | 悲しみ |
マハラルエル | 神は祝福された |
イエレド | 降りてくる |
エノク | 教える、始まる |
メトシェラ | 彼の死の時にそれは来る |
レメク | 嘆き、悲しみ、絶望 |
ノア | 新しい希望 |
これを、意味が通じるように繋げて読むと…… 、
「備えられた致命的な悲しみを、祝福の神は降りて来て教える。彼が死ぬ時、嘆きが新たな希望となる」となります。
メシア(救世主)の死に、一体どのような意味があったかについては、今後、詳しく見ていくので、今はピンと来ないかもしれませんが、
もし本当に、それぞれの名前に上記のような意味があるのであれば、確かに「メシア預言」であると言うことができると思います。
その場合、”備えられた致命的な悲しみ” とは、”人類の罪を一身に引き受けるメシアの運命” を指していると解釈できます。
”彼が死ぬ時” の「彼」とは、もちろん「メシア」のことです。
以下は、旧約聖書の原語である「ヘブライ語」では、どのような意味の単語が使われているかを調べられる「STEP」というサイトと、
ヘブライ語に詳しい牧師さんが運営していらっしゃる「牧師の書斎」というサイトにて調べた結果になります。
スマホの場合、横にスクロールできます。
人名 / 参考サイト | 【STEP】 | 【牧師の書斎】 | 【ルーク氏の動画】 |
---|---|---|---|
セト or セツ | compensation = 代償、償い |
代わりの子、基礎 | 備え |
エノシュ | man = 人 | (弱い)人 | 弱い、致命的 脆い、悲惨 |
ケナン | possession = 所有、入手 |
巣を作る 巣篭りをする |
悲しみ |
マハラルエル | praise of God = 神の賛美 |
神への賛美 | 神は祝福された |
イエレド | descent = 降下、転落、相続 |
高い所から下に降りて来る | 降りてくる |
エノク | dedicated = 献身的な 一身を捧げた |
献げられた者 | 教える、始まる |
メトシェラ | man of the dart = 投げ矢の人 |
死 + 遣わす (息子が死ぬ時に神の裁きが来る) |
彼の死の時に、それは来る |
レメク | powerful = 強い、強力な |
強い者、強さ | 嘆き、悲しみ、絶望 |
ノア | rest = 休息、安らぎ | 安息、休息、慰め | 新しい希望 |

また、念のため、聖書に登場するヘブライ語の名前の「意味」や「語源」について詳しく解説された「ABARIM」というサイトでも調べてみました。
以下が、その結果です。
【名前】 | 【意味】 |
セト(セツ) | Appointed(約束された、定められた、任命された) Foundation(土台、礎) |
エノシュ | Man(人)、 Weak(弱い) Man Frail And Miserable(弱くて惨めな男) Mortal(致命的な、死ぬべき運命にある) |
ケナン | Composer(作成者)、 Lamenter(嘆く人、悲しむ人) |
マハラルエル | Praise Of God(神の讃美) |
イエレド | Descent(降下) |
エノク | Inaugurated(開始した)、Trained(訓練した) Dedicated(献身的な、一身をささげた) |
メトシェラ | When He Is Dead It Shall Be Sent (彼が死ぬ時、それは送られるであろう) Man Of A Javelin(投げ矢の人) |
レメク | Strong Man(強い人)、Powerful(強力な) For Humiliation(屈辱のために) |
ノア | Rest(安息、安らぎ) |
ちなみに「STEP」 + 「牧師の書斎」 + 「ABARIM」にて調べた意味を土台とし、他の複数のサイトも参考にしつつ、私なりに繋げて読むと…… 、
「(人類の)定められた死ぬべき運命を嘆く者が、神の賛美と共に(地上に)くだる。一身を捧げた者が死ぬ時、強力な安息がもたらされるであろう」
と読めなくもなく、これはこれで「メシア預言」になっていると、私個人は思いました。
エノクの息子である「メトシェラ」の名に込められた意味は、
「息子が死ぬ時に神の裁きが来る」
「彼の死の時に、それは来る」
となっていますが、創世記の記述から計算すると、ノアの祖父に当たる、このメトシェラが死んだ時、ちょうど大洪水が起こったことになります。つまり、上記の「神の裁き」「それ」とは大洪水のことであったわけです。このように、彼の名前自体が、預言的なものだったのです。
これを「単なるこじつけ」と取るか「メシア預言」と取るか、果たしてあなたの判断は如何に!?
まとめ
- 旧約聖書においてメシア(救世主)は、たびたび擬人化された「石」として登場し、ユダヤの指導者層に拒絶されることなどが預言されている。
- バビロン王の見た「巨大な像の夢」を通し、メシアが、やがて成立するとされている「世界統一政府」を瓦解させることが、旧約聖書に預言されている。
- 預言の中には、”ある人物の心情や経験を述べると同時に、メシア(救世主)に関する預言にもなっている” という「2重写し」のような形のものがある。
- 旧約聖書の「詩篇」には、メシアの復活を示すような預言が存在する。
- 創世記5章の「アダムの系図」に登場する人名の意味を繋げると「メシア預言」になっている、という興味深い説がある。

今回は、”「救世主」特定の手掛かり” と題して、旧約聖書内に散りばめられた「メシア預言」を、仮説も含めてご紹介してみました。
私たちが旅して来た、この「メシア預言の森」も、いよいよ次回で最後となります。
どうか私たちからはぐれてしまうことのないよう、願わくば全ての方が、無事にこの森を通り抜けることができますように。
長い記事を最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

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